11日夜、忠清南道公州(チュンチョンナムド・コンジュ)のある淡水鰻屋で、2002W杯韓日大会のヒーロー柳相鉄(ユ・サンチョル)氏にあった。あるサッカー人が最近開業した飲食店に、あいさつがてら来ていた。
今年初め、グラウンドを離れた柳相鉄は、幼少年の指導者として戻ってきた。今月の初め、蚕室(チャムシル)総合運動場に「柳相鉄サッカー教室」を開いた。
「名前だけ出しておいて、直接指導はしないという話は聞きたくありません。毎週4日ずつ、子供たちを指導しています」
もう80人余りが登録している。
柳氏は選手時代、全世界を旅しながら、幼少年サッカーの重要性を悟った。
「塾サッカー型の韓国は、やらせることはうまくやるが、創造性や臨機応変は落ちています。勝敗にこだわらず、サッカーを楽しめるようにしたいです」
柳氏が放送番組の子供サッカー団「FCシュットリ」の監督を引き受けたのも同様の理由からだ。
「ボールを怖がっていた子どもたちが、自ら一つずつ学ぶのを見ていると、感心するし、やりがいもあります」
柳氏の目標はサッカーのみならず、勉強も一緒にする総合的な「サッカー学校」を設立することだ。
彼は2006年のワールドカップに選手としてでなく放送の解説者として参加した。
「韓国の代表チームは明らかに多く成長しました。しかし、今大会では選手たちの呼吸が合わなかったのが残念です。2002年に、洪明甫(ホン・ミョンボ)、黄善洪(ファン・ソンホン)、そして私がやったリーダーの役割がうまくできなかったようです」
放送の解説はどうだったろうか。柳氏はすぐさま頭を横に振る。
「サッカーよりもっと難しいです。しかしグラウンドの外で見て、選手時代には分からなかった試合の進行等、多くのことを学びました」
なぜ分かったのか、サッカー・ファンたちが彼の周りに駆けつけてきた。小学生も大勢いた。
「私を忘れないで愛してくださって本当に感謝します。これからは子供たちにいいサッカーを教えることでお応えします」
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