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荒波に襲われた「地域経済再生」の夢 西帰浦市長ら行方不明

荒波に襲われた「地域経済再生」の夢 西帰浦市長ら行方不明

Posted November. 27, 2006 07:10,   

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25日午後1時から2時の間、済州西歸浦市大静邑馬羅島(チェジュ・ソグィポシ、テジョンウプ・マラド)の西方3キロの沖合いで、李英斗(イ・ヨンドゥ)西帰浦市長ら7人を乗せた摹瑟浦(モスルポ)船籍の釣り船「へヨン号」(3.8㌧、金ホンビン船長、44)が沈没した。

この事故で、オ・ナムグン(57、西帰浦市地域経済局長)、ファン・デイン(54、大静邑長)、イム・クァンホ(56、大静邑住民自治委員長)氏の3人が死亡し、李市長と金船長は行方不明となった。一行のうち、ユン・セミョン(40、市長秘書)、カン・チャンウ氏(48・市長随行の運転手)は、海洋警察の艦艇や周辺の漁船のよって救助された。

李市長らは同日、大静邑摹瑟浦(モスルポ)港周辺で開かれるブリ祭りに出席した後、へヨン号に乗り込んで、ブリ釣りの船上体験をしていたところだった。

とりわけ、李市長は普段船酔いが激しいのにもかかわらず、西帰浦地域の観光活性化に役立つとの判断で船に乗ったことが分かり、住民たちはさらに心を痛めている。

へヨン号は午後1時ごろ、ブリ釣りを終えて帰る途中、高波に襲われ、「漁船2隻を送ってほしい」との無線を送った後、連絡が途絶えた。午後3時半ごろ救助されたユン氏は、「高波に3回も立て続けて襲われた後、海水が船に入って沈没した」と語った。

同日、済州道南方の海上には気象特報は出されていなかったが、事故がおきた周辺海域は、瞬間的に4〜6メートルの高い波が起きていた。

同時間、李市長らとは違う船に乗ってブリ祭りを取材していた東亜(トンア)日報の趙誠夏(チョ・ソンハ)旅行専門記者が、当時の情況を再現した。

▲静まり返っていた海が急変〓祭り行事の一つだった「馬羅島のブリ釣り、1日の船乗り体験」に出る予定の漁船8隻は、27日の朝から出港の準備を急いでいた。午前10時、摹瑟浦港を離れて、午後2時には帰る予定だった。

記者が乗っていた船は第3トンウン号(7.93トン)。済州駐在日本総領事館の日本人外交官2人も乗り合わせていた。漢拏山(ハルラサン)の頂上が見えるほど、天気は快晴だった。

防波堤を離れて10分ほど経ったとき、海が急変した。荒い波で漁船が前後左右に大きく揺られた。立ってはいられないほどだった。船に乗っていた人たちは海に転落しないように、デッキに座り込んだ。

50分ぐらい過ぎて、ブリ釣りの現場の馬羅島海域に到着した。一緒に摹瑟浦港を離れた体験漁船8隻を始め、計26隻が海にあった。

船があまりにもひどく揺らいだので、2人がデッキの上に横になった。激しいローリング(左右の揺れ)やピッチング(前後の揺れ)で、船酔いが激しかったからだ。薬を飲んでも何の役にも立たなかった。

波だけではなかった。うねりもあった。うねりとは、谷が深く波頭の高い巨大な波を言う。

船首に座っていると、テーマ・パークの「バイキング」や「ジェット・コースタ」に乗っている感じだった。

周辺の漁船がうねりの谷に落ちると、船は帆だけを残して瞬時に消えてしまったりした。

▲波に壊された「摹瑟浦の夢」〓大静平野を背後に、海に向かって発達した漁港の摹瑟浦は、済州道でも最も経済発達が立ち遅れている地域。そのためか、大静住民の強い生活力は済州道でも有名だ。

摹瑟浦の漁民は、漁業だけでは生活が苦しいため、「観光釣り+漁村民宿」型の大静邑漁村民宿村(営漁法人)事業を、2001年から行っている。20人あまりの釣り船の船主が観光客と一緒に、鯛やブリなどのつりをする体験観光プログラムだ。

行方不明となった李市長は24年間の公職生活を経て、今年7月1日、済州特別自治道の発足と共に、西帰浦市と南済州郡が合併した西帰浦市の市長(政務職)を務めた。

夫人のカン・へスク氏は、「朝、出勤するとき『体が疲れているので船には乗りたくないが、行事を盛り上げるためには仕方がない』と言ったが、こんなことがおきるとは」と、涙ぐんだ声で話した。



summer@donga.com jy788@donga.com