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ベーリング海峡を歩いて渡る 朴英碩氏が明日出発

ベーリング海峡を歩いて渡る 朴英碩氏が明日出発

Posted February. 15, 2007 07:16,   

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「ベーリング海峡は『アジアのオットセイ』趙五連(チョ・オリョン)さんが挑戦すべきところじゃないのかな」

朴英碩(パク・ヨンソク)氏(44・ゴールドウィンコリア理事・東国大学山岳部OB)がベーリング海峡横断にチャレンジするとの報道(東亜日報10日付1面参照)に接した多くの読者が抱いた疑問だ。

朴氏自身も、「ベーリング海峡は北緯65〜67度にあるが、最近地球温暖化の影響で流氷が急速に減り、まるで氷水のように変わった。歩くことよりも、泳ぐことのほうがが多いのではないか」と気にかけていた。

氷河期に陸地(ベーリンジア)だったベーリング海峡は、原始モンゴロイドがユーラシアからアメリカに渡った歩道橋だった。このベーリング海峡を歩いて横断しようとする試みは、ベーリング海峡の中間にあるダイオミード島をめぐって対峙した旧ソ連と米国の間に和解ムードがただよい始めた1987年からのことだった。

これまで、国内でも許永浩(ホ・ヨンホ)氏が1994年に挑戦するなど20回余りの徒歩横断の試みがあったが、成功は2度に過ぎない。

1998年、ロシアの探険家ドミトリー・シパロ氏と息子のマトベイ氏がロシアを3月1日に出発し、21日に米国に到着するのに成功した。父親のシパロ氏にとっては、1987年から5回の挑戦の末に実現した成果。あと1回はカール・ブッシュビー氏(英国)とウルトラマラソンランナーのディミトリー・キーファー氏(米国)が昨年3月17日、米国から出発して半月後の31日にロシアに到着した。

シパロ氏とブッシュビー氏は口裏を合わせたかのように「横断の最短距離は88kmだが、実際には300km以上歩かなければならなかった」と話した。氷の中を泳ぐよりは歩いた方がましで、氷板を捜して遠回りをすることが多かったうえ、流氷が潮流と風によって動いているため距離が長くなったという。

ベーリング海峡は3月の平均気温が零下24〜26度で北極(零下35℃以下)よりは高いが、このために氷の厚さが薄く、テントを張った氷板が割れることも多い。それに秒速50〜60mの突風が1日も欠かさず吹きつける。

ロシアのチュコト自治区のホームページには、ベーリング海峡の気象について「住民たちは、1年のうち1ヵ月は天気が悪く、2ヵ月はとっても悪く、残りの9ヵ月はひどく悪いという冗談を言う」と紹介しているほどだ。

また、ホッキョクグマの出現も頻繁だ。朴氏はこれらの攻撃に備えて現地ロシアで猟銃を借りて遠征中、持ち歩く予定だ。状況が悪いだけに遠征隊長の朴氏と呉熙俊氏(オ・ヒジュン、37、ノースペースアルパインチーム、西帰浦ヨンチョン山嶽会)、李ヒョンモ氏(28、関東大学山岳部OB)の3人で構成された遠征隊は南・北極点の遠征時より多くの準備を行った。

先月から江原道平昌郡(カンウォンド・ピョンチャングン)の普光(ボグァン)フェニックスパークで、タイヤ引きで体力トレーニングをしながらソリをひく要領を身につけた。洪川江(ホンチョンガン)支流では氷を電動ノコギリで細く切った後、ドライスーツを着て氷水に入る実戦トレーニングを行った。

遠征隊は、10日には忠清南道論山市(チュンチョンナムド・ノンサンシ)に位置する(株)韓国冷蔵の協力を得て、零下55度の凍結室でテントを張って一夜を過ごしつつ、衛星データ通信の端末など各種装備のテストを終えた。

11日には錦江(クムガン)で、朴隊長自ら考案した救命胴衣の材質で床を作ったテントが水に浮かぶかどうかを実験した。

朴英碩遠征隊は16日午後、ロシアに出発する。



jeon@donga.com