辛酸をなめたことのある人は、他人が感じる痛みの深さも察することができる。「苦しみは分かち合えば半分になり、喜びは分かち合えば倍になる」ということも、身をもって経験した人は、頭ではなく、胸で分かる。
バングラデシュから来た外国人労働者約20人からなる「エークモン(ek-mxn)奉仕会」。昼間には工場、夜には一間の宿所にとじこもるという生活をしながら「コリアン・ドリーム」を夢見ている彼らは、毎月第四日曜日には外に出かける。5年間、奉仕活動をしている知的障害者施設を訪れているのだ。
●ホームシックを紛らわすために始めた善行
彼らが奉仕活動を始めたのは、2002年9月、15号台風が全国を襲った時だった。ソウル城東区聖水洞(ソンドング・ソンスドン)一帯の工場で働き、工場から歩いて5分の宿所で一間暮らしをしていた彼らは、テレビで江源道(カンウォンド)地域の水害現場を見ているうちに、故郷を思い出し、涙ぐんでしまった。
「バングラデシュでは、1年に3,4回は洪水が発生しています。家が浸水して生活道具を全部失い、お隣さんが死んでしまったりします」(ナディム会長)
たちまち、10人余りのバングラデシュ人がテレビで見た水害地域の被災者たちを助けに行こうと意気投合した。しかし、テレビで聞いて「カンウォンド」というところがどこにあるのか知っている者は一人もいなかった。
近くの玉水(オクス)社会福祉館の助力で江源道へ行く小型バスを借り、救護米などを買った。一人当たり拠出したお金は4万ウォン。100万ウォン前後の月給のうち60万〜70万ウォンはそっくりそのまま故郷に送金している彼らにとっては大金だった。
●「人の喜びは私の喜び」
翌年、バングラデシュで青少年赤十字(RCY)活動をしていたソーダンさん(32)が中心となって城東区聖水洞一帯の工場で働いていた同郷の友人とともに奉仕会を作った。ベンガル語で「一つの心」という意味の「エークモン」という名前も付けた。
2003年9月、京畿道河南市(キョンギド・ハナムシ)に位置する知的障害者施設「旅人の家」でボランティア活動を始めてから、エークモン奉仕会の会員たちは毎月第四日曜日の訪問を欠かさずにいる。
「旅人の家」の世話になっている人は、10代から90代までの約60人の障害者たち。最初は、見慣れない顔形の外国人労働者には見向きもしようとしなかった。
しかし、警戒も束の間。人恋しかった障害者たちは、たどたどしい韓国語で「おばあちゃん」「おじいちゃん」「お兄ちゃん」「弟」と呼びながら近づいてくるエークモン会の会員たちと「家族」になった。
「旅人の家」の李ナンエ幹事(49・女)は、「どちらも言葉が不自由だけど、それで同質のものを感じるのか、ここを訪れているほかのボランティアたちに比べ、親しくなるのに時間がかからなかった」と話している。
最も大変だという入浴の介助をしているアタウルハック(36)さんは韓国に滞在して8年になる。彼は「私の体も洗ってくれよ」とねだる障害者たちが、1カ月間頑張れる力の源になっていると話した。
「奉仕をすると、体は疲れるけど、働くのが楽しくなります。短い間でも一緒にいれば彼らの顔色が明るくなりますが、私もつられて嬉しくなりますね。寂しい思いも全部忘れられます」
●「人は、みんな同じ人間です」
エークモン奉仕会の会員たちは、先月、悲しい別れを経験した。奉仕会をやりくりしていた会長のソーダンさんが強制出国させられたのだ。
不法滞在者だったソーダンさんは、職務質問され、出入国管理所に移送された一週後にバングラデシュに送られた。
空港でソーダンさんは、奉仕会を後援していた地域赤十字奉仕館に電話をかけ、「人生の大半を自分ひとりのために送ったが、韓国で少しでも人のために時間を過ごす方法を学んだ」と、感謝の意を伝えた。
会員のうち数人の仲間がこのように突然帰国させられた。残っている会員の中にも、いつ摘発され、韓国から追放されるかわからない危うい立場の人々がいる。
それでもエークモン奉仕会は揺れない。
「韓国にどれくらい滞在するかはわからないが、奉仕は続けたいです。分かち合いは、私が人を助けるのではなくて、自分と他人がお互いを認め合う過程です。分かち合いに韓国人も外国人もないと思います。みんな同じ人間ですからね」(ナディム会長)
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