李鳳柱(イ・ボンジュ)選手(三星電子)は、やはり韓国の「国民的マラソンランナー」だった。粘り強くて純朴な「ボンダリ」こと李鳳柱のそばには、彼を大事にして応援してくれる国民たちがいた。
マラソンランナーにとって「魔の峠」と呼ばれる35キロ地点を過ぎてから、李鳳柱はケニアの新星、ポール・キプロプ・キルイ選手にリードされ始めた。38キロ近くからはほとんど100メートル後方に離された。
彼は1970年生まれ。数え年で38歳の李鳳柱が追い付くにはとても難しい距離のように見えた。彼の顔に汗が流れ始めた。その時だった。「ボンダリ、ファイト!」。李鳳柱の耳を鳴らす声が向こうから聞こえてきた。沿道に立ち並んだ市民だった。市民は足を踏み鳴らしながら「李鳳柱、ファイト」、「ボンダリ、ファイト」を口を揃えて叫んだ。
李鳳柱の表情が明るくなった。この時から李鳳柱は恐ろしい底力を発揮し始めた。一歩一歩、キルイに追い付いた李鳳柱は、とうとう40.62キロ地点でキルイをリードした。
18日行われた07ソウル国際マラソン大会兼第78回東亜(トンア)マラソン大会(東亜日報社、ソウル市、大韓陸上競技連盟共同主催)。
今大会は「国民マラソンランナー」の李鳳柱が、国民の声援に支えられた華麗に復活した舞台だった。李鳳柱はレース終盤、奇跡のような逆転劇を繰り広げて、2時間8分04秒ぶりに決勝テープを切って、キルイ(2時間8分29秒)を抜いて優勝した。最近、低迷していた韓国マラソンに希望を与えたとてつもない記録だった。
まず、李鳳柱の同日の記録は、韓国選手が立てた国内開催大会の歴代最高記録だ。また、李鳳柱は満36年5ヵ月7日で韓国選手の最高齢優勝記録と共に世界2位の最高齢優勝記録を打ち立てた。歴代世界1位はカルロス・ロペス(ポルトガル)選手が1985年、ロッテルダム・マラソン大会で38年2ヵ月2日の年齢で当時の世界記録(2時間7分12秒)で優勝したことだ。
李鳳柱の国際大会優勝は01年ボストンマラソン以後6年ぶりで、東亜マラソンでの優勝は1995年以後12年ぶりのことだ。マラソン選手としては「還暦」の年齢になった李鳳柱は、周りからは「もう全盛期は過ぎた」と言われていた時も、「一生懸命頑張れば良い」と考えて、黙々と汗を流してきた。そして00年、東京マラソンで立てた韓国最高記録(2時間7分20秒)に続いた自己通算3回目の記録を同日樹立して、健在ぶりをアピールした。
決勝線をりりしく通過した李鳳柱は、母親と妻、そして2人の息子に暖かく迎えられた。李鳳柱は長男のウソクちゃん(4)の頬っぺたに何度も感激のキスをした。続いて、次男のスンジンちゃん(3)と妻の金ミスンさん(37)、母親のコン・オクヒさん(70)と勝利の喜びを交わした。
李鳳柱は「子どもたちは、僕が走るのが好きです。家で軽い運動をすれば、まねするんです。可愛くてしょうがないです」と言って、明るい笑顔を見せた。
李鳳柱は同日でフルコースだけで35回完走した。これまで、中途でレースを諦めたのは2回に過ぎない。完走した距離だけでも1476.825キロ。世界マラソン史でまれに見る記録だ。
李鳳柱は「まだまだです。国民の皆さんが今日のように声援してくれる限り、走れる時までは走り続けます」と話した。
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