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v「悲運の投手」朴東煕氏が交通事故で死亡

v「悲運の投手」朴東煕氏が交通事故で死亡

Posted March. 24, 2007 09:18,   

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現役時代の彼の名前には決まって「悲運の投手」という修飾が付きまとっていた。

元ロッテ投手の朴東煕(パク・ドンヒ)氏(39・写真)。彼は、最後までも「悲運」を吹き飛ばすことができず、交通事故で世を去った。

朴氏は22日午前3時15分ころ、釜山市水営区広安洞(プサンシ・スヨング・クァンアンドン)のトップマート前の往復4車路の道路で、自分のダイナスティ乗用車を運転して水営区南川洞(ナムチョンドン)に向かう途中、道路脇のバス停に立っている柱に突っ込み、その場で死亡した。警察は、朴氏が居眠り運転をしていたと見て、事故原因の調べている。

2002年に三星(サムスン)で選手を引退した朴氏は、釜山海雲台区佑洞(ヘウンデク・ウドン)で日本式の飲み屋を経営してきた。

釜山高校を卒業した朴東煕氏は、アマチュア時代から150kmを超える剛速球を投げ、「国宝投手」と言われた宣銅烈(ソン・ドンリョル)三星監督の系譜を受け継ぐ期待株として注目を集めた。1985年の鳳凰旗高校野球大会では、空前絶後の平均自責ゼロを記録を立てて大会優勝をけん引した。

高麗(コリョ)大学に進学してからは、国家代表エースとして活躍した。メジャーリーグのトロントから入団勧誘を受けたが、当時としては最高額だった1億5200万ウォンの契約金を受けて1990年に地元ロッテのユニフォームを着た。

しかしプロ入団後の彼の人生は、平坦ではなかった。90年4月11日のデビュー戦だった三星戦で10個の三振を奪い、92年の韓国シリーズでは2勝1セーブの成績で最優秀選手に選ばれたが、栄光は長く続かなかった。

無理な投球がたたって肘の負傷が後遺症を引きずり、下降カーブを描き始め、97年に三星にトレードされた。結局、立ち直りに失敗し、02年にユニフォームを脱いだ。通算59勝50敗58セーブに平均自責3.68の成績だった。

遺族には夫人のペ・ジョンナムさん(38)と娘二人がいる。葬式場は釜山市水営区広安洞のチョウンカンアン病院1号室。出棺式は24日午後9時。電話051−610−9671.



uni@donga.com