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2014年アジア大会の仁川招致決定 大詰めの大接戦を競り勝つ

2014年アジア大会の仁川招致決定 大詰めの大接戦を競り勝つ

Posted April. 18, 2007 08:18,   

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「15日、仁川(インチョン)優勢→16日、仁川とニューデリー競合→17日、仁川確定」

17日に、2014年アジア大会開催地が仁川に最終決定されるまでの過程は、逆転の繰り返しというドラマチックなものだった。

仁川招致委員会は、14日にクウェートシティに到着するまで、大会招致はほとんど確実だと思い込んでいた。

しかし、15日から、仁川とニューデリーの広報合戦が本格化すると状況は一変した。ニューデリー招致委員会は、インドの美しい自然と独特の文化を売り物に、各国のオリンピック委員会(NOC)委員たちの関心を引くのに成功した。NOC委員たちに会い、「ニューデリーが大会を招致すれば、選手団の滞在費を負担する」と気前のいい提案もした。

しかし仁川招致委員会は、スポーツ弱小国に対する支援プログラムと航空運賃、宿泊費支援というカードで勝負した。

仁川招致の主役、愼饁碩(シン・ヨンソク)招致委員長は、「招致戦の最後、ニューデリー側が政府の強力な支援を追い風に、OCA加盟国の支持を集めたのは事実だ。しかし、2年近く海外を訪問して会ったOCA関係者たちは、仁川を信じてくれたようだ」と話す。

仁川のアジア大会招致は、招致委員会が2年近くも未来のスポーツ・フェスティバルを構想し、これをOCAとNOCの関係者に示したことで得た、貴い勝利だった。

●「クウェートには地の利があった」

仁川招致委員会の関係者は、ニューデリー招致委員会の全方向からの攻勢に当惑するほかなかった。クウェートにはインド系移民が30万人もおり、事実上、ホームグラウンドのようなものだった。

特に、アジア・オリンピック評議会のランディール・シン事務総長はインド出身で、OCA関係者の相当数がインド人なので、仁川招致委員会に比べ、ニューデリー招致委員会が相対的に多くの情報に接することができた。

このため、仁川招致委員会は外部の人物に会う時は、「発言に気をつけること」を指示した。最終プレゼンテーション資料と仁川の競技施設の現況など資料の流出にも格別の気を使ったほどだ。

●韓国のアジア大会スターたち「インドは韓国の相手にならない」

17日、クウェートに到着したアジア大会のスターたちも仁川広報戦に取り組んだ。OCA総会が開かれたマリオット・ホテル2階会議場の前で、仁川旗を翻しながら、「仁川!」を叫んだ。

「人魚姫」崔允姫(チェ・ユンヒ)は1982年、ニューデリー・アジア大会での背泳100mと200m金メダルリスト。崔氏は、「ニューデリーの環境は劣悪だ。当時、多くの選手がインドの食べ物が口に合わず苦労した」と話した。すると、沈権虎(シム・クォンホ)氏(レスリング)も、「アジア大会は気候のいい仁川ですべきだ。選手の競技力を考慮すれば仁川が最適の場所」と援護した。

玄静和(ヒョン・ジョンファ)氏(卓球)は、「ニューデリー招致委員会の人たちが声を高め、『ニューデリーに行こう(Go for Newdeli)』と叫ぶ姿を見ていると、『私たちもやってみようじゃないか』という気になる。必ず勝つ」と戦意を燃やした.



beetlez@donga.com