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金会長の報復暴行「現場に大物の暴力団がいた」

金会長の報復暴行「現場に大物の暴力団がいた」

Posted May. 08, 2007 07:46,   

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ハンファグループの金升淵(キム・スンヨン)会長の「報復」暴行疑惑事件を捜査している警察は7日、当日の暴行現場に組織暴力団が動員された事実を確認したと明らかにした。

▲「汎西側派」の行動隊長、Sクラブ社長の先輩と直接電話〓警察は事件当日の3月8日、汎西側派の行動隊長であるオ(54)氏が、ソウル中区北倉洞(チュング・プクチャンドン)のSクラブのチョ社長の故郷(全羅南道木浦)の先輩である李(56)氏に電話をかけたことを確認した。

また、事件当日、ソウル瑞草区鋻溪山(ソチョグ・チョンゲサン)やソウル江南区鋻潭洞(カンナムグ・チョンダムドン)、北倉洞など、事件現場の3ヵ所で行われた携帯電話の通信明細を分析し、このうち2ヵ所で、オ氏が電話をした事実も確認した。

しかし、出入国のコンピュータ網への照会の結果、オ氏は金会長事件がメディアに報じられた直後の先月27日、すでに出国した状態だと警察で発表された。オ氏はオーストラリアに出国したという。

これを受けて警察では、オ氏が事件当時、自分の組織員たちを連れて現場に出向き、暴行に加わったとみて、オ氏の部下たちの身元や所在を追跡している。

警察ではオ氏と電話をしたことが分かっている李氏の身柄を同日確保し、通話内容を追求しているものの、李氏は、「オ氏とは電話したことがない」と否定しているという。

李氏は北倉洞のSクラブの周辺でNクラブを経営しており、暴行事件が発生した当時、Sクラブに行っている。

▲汎西側派の行動隊長であるオ氏とはだれか?〓全羅南道新安郡長山面(チョンラナムド・シンアングン・チャンサンミョン)出身のオ氏は、1986年、仁川(インチョン)ニューソンド・ホテルの社長暴行事件など、1980年代の主な組織暴力団関連事件に何度も名前を連ねた大物の組織暴力団員だ。

「西側派」のボスだった金テチョン氏の下で、ナンバー2だったオ氏は、1977年、新民党乱入事件などで組織が解体されるや、組織員10人余りを集め、「木浦(モクポ)マンボ派」を結成した。

しかし、1986年8月、ソウルの「ソジンルームサロン」で組織員4人が「ジンソク派(ソウル木浦派)」に殺害された後、マンボ派は解散し、オ氏は汎西側派に復帰したというのが警察の説明だ。

オ氏は現在、ソウル瑞草区盤浦洞(バンポドン)で生活必需品の店を経営している。

▲検察、警察に裏付け捜査を指示〓検察は金会長事件に組織暴力団が介入した状況が具体的にあらわとなったことを受けて、警察に裏付け捜査を指示した。

警察では、金会長が今回の事件に深く介入し、報復暴行を指揮したと見ており、裏付け捜査が終わりしだい、今週中に金会長に対して逮捕状を請求する方針だ。

いっぽう、洪永基(ホン・ヨンギ)ソウル地方警察庁長は7日、「被害者たちは(再度の報復に対して)非常に恐怖を感じている」としながら、「6人全員の身柄を保護している」と述べた。

洪庁長は、「行方がわかっていないハンファ側の核心関係者3人に対して、すべて出国禁止措置を取っている」としながら、「彼らの居場所を追跡しているので、すぐ身柄を確保できると見ている」と付け加えた。



imsun@donga.com