1987年6月の民主抗争は、1972年10月の維新と1980年の全斗煥(チョン・ドゥファン)軍部勢力の憲政破壊で中断していた民主主義を回復させた歴史の転換点だった。クーデターと形式的な手続きに終わった選挙で政権を取った全斗煥独裁政権は、民主化を求める国民の抵抗を投獄と人権じゅうりんで抑圧したが、怒った波のような民心の前に遂にひざまずいた。民主化は、特定政派や特定勢力の戦利品ではなく、ソウル市庁前広場と全国主要都市の街を埋め尽くしたピープルパワーの勝利だった。
東亜(トンア)日報も独裁政権に対抗し、民主化の側に立って国民と苦難をともにし、朴鐘哲(パク・チョンチョル)君拷問致死事件の真相を暴くなど、真実報道を通じて6月抗争の火を拡散させることに少なからぬ役割を果たしたと自負する。にもかかわらず、政権に屈従し、沈黙していた一部の放送が、まるで民主化の先鋒に立っていたかのように振る舞い、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は、権力の是非を問うマスコミを「民主主義の敵」であるかのように追い込んでいる。世界のどの民主国家でも、マスコミは政治権力を監視批判することで、民主主義を発展させる。
韓国国民は、民主化以降4人の大統領を輩出し、平和的政権交代の伝統を確立した。にもかかわらず、選出された権力の傲慢と独善そしてポピュリズムが民主主義の本質を脅かしているのが、今日の残念な現実だ。民主主義の核心は、自由と人権、法治と言論の自由である。限られた任期で国政を担う勢力が、憲法と法を嘲弄し、あらゆる自由の土台である言論の自由を抑圧する行動は、民主主義の基本精神を破壊することだ。
真の民主化は、政治的抑圧だけでなく、貧困、差別などの各種社会・経済的拘束から構成員が自由になることであり、人間としての尊厳を確保していく過程である。短い期間に、産業化に続き民主化を果たした韓国の躍動性と創意性に再び火をともすなら、韓国は世界が羨望する先進国に跳躍できる。それがまさに6月抗争の精神をいかし、民主化を完成する道である。