「私はもともと、かんしゃくを起こす人知れぬ症状があるうえ、暑さの中で王のお供をしたので、(緊張して)熱が上がり、うつの症状は極度に達し、息苦しくておかしくなりそうです。このような症状は、医官にも言えません。卿はうつ病を治す薬についてよく知っているので、薬を煎じて、人に知られぬよう送ってもらえないでしょうか」(1753年か54年のある日)
思悼世子(サドセジャ)が、自分の内面を告白する内容を綴って、妻の父に送った手紙が発見された。これまで学界ではミステリーとされていた思悼世子の病状と父・英祖(ヨンジョ)との葛藤を明確に説明する資料だと評価されている。
ソウル大学国語国文学科の権斗煥(クォン・ドゥファン)教授は最近、東京大学で朝鮮時代の英祖、荘祖(チャンジョ)、正祖(チョンジョ)3代の手紙の複写本2冊、11帳を発見し、「荘祖」である思悼世子の手紙の内容を翻訳したと14日、明らかにした。
現在残っている思悼世子の手紙はほとんどなく、現存する資料も、個人的な告白ではなく公文書が大半だ。
学者たちは、思悼世子が精神病やうつ病を病んでいたと推測しているが、彼の病気について明確に説明した資料はなかったという。
この手紙の告白は、思悼世子自らが病を患っていることを説明している点で意味深い。
悲運の主人公である思悼世子は、1735年に生まれ、父・英祖の怒りを買って、米びつの中で死んだ。息子の正祖が、荘献と上諡(死んだ王に諡号を送ること)し、1899年に再び荘祖に追崇(生前に王位に就けなかった者に死後国王の称号を与えること)された。妻の恵慶宮洪氏(ヘギョングン・ホンシ)は、朝鮮王室の女人の回顧録として有名な「閑中録(ハンチュンロク)」を通じて、このような秘話を紹介している。
●父・英祖への不満
「私の年は、今年ですでに15歳の春を過ぎましたが、まだ一度も先祖の陵に行って参拝していません」
思悼世子が満14歳の1749年のある日、妻の父に書いた手紙の内容だ。権教授は、「恵慶宮洪氏の閑中録にもこのような内容が伝えらえている」としたうえで、「洪氏は、姑と夫の両方を考えて控え目に記述したと思われるので、内容が正確でない可能性もある。この手紙は、思悼世子が自ら告白した内容なので、父との葛藤をより正確に表している」と説明した。
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