◆洛東江(ナクドンガン)の両側に銃弾や砲弾が降り注いだ1950年8月。最後の防御線を守るため、国軍と人民軍が一進一退を繰り返していたある日のことだった。国軍の小隊長が全身に銃弾を受けて倒れ、「水、水、水…」とうめいた。隣の兵士は彼のヘルメットを取って水辺に向かい「S字」に走った。水を一杯に満たして手渡すと、小隊長はヘルメットの水をがぶ飲みしたあと、すぐに目を閉じた。戦友たちはすでにみな後退して、誰もいなかった。兵士は川の土手を必死ではい上がった。その瞬間、「ドカン」という音と共に気を失った。
◆しばらくして気を取り戻した兵士の右手は、砲弾の破片が刺さって血だらけになっていた。銃やヘルメット、弾丸の帯、水筒、兵士番号ネックレスをかなぐり捨てて、また田畑をはいまわった。幸いにも後方で治療を受け、腕に包帯を巻いたまま平壤(ピョンヤン)や鴨隳江(アブロクガン)まで進軍したが、中国軍の介入で後退した。その間に、郷里の自宅には「戦死通知書」が届けられた。洛東江の川辺に捨てたネックレスの名前と兵士番号が「戦死」の証拠だった。その衝撃で母親は凍った道で横転して腕が折れた。小学生の時に聞いたある参戦兵士の物語だ。
◆今回、江原洪川(カンウォン・ホンチョン)で見つかった水筒の沈黙の物語には、心が痛む。遺骨発掘鑑識団は水筒に刃物で刻まれた「0167621」という兵士番号を手がかりに「ミン・テシク一等兵」のものだと結論付けた。しかし、彼の親兄弟はみな死亡しており、果たして誰が水筒にまつわる物語を読んでくれるだろう。55年間も事実を記憶してきた水筒も沈黙を守っている。昨年11月、同じく洪川で見つかった水筒には「張福東」(一等兵)という漢字の名前が刻まれていて、それを手がかりに遺族を探し出すことができた。
◆戦死者の遺骨発掘は砲声が止まってから47年も過ぎた00年になってようやく始まった。これまでに1797人の遺骨が発掘され、53人の身元が判明し、25人の遺骨が遺族にかえされた。もっと早く始めるべきことだった。ここにも歴代政府の参戦兵士への冷淡さが克明に表れている。1週間後、韓国戦争は57周年を迎えるが、報勲病院の病床には未だに戦傷者たちが横たわっている。彼らにとっては「忘れられた韓国戦争」の傷跡のほうがさらに痛ましい。