先進国の間で増え続けている校長公募制は、「CEO型校長」を学校現場で働かせる積極的な教育政策だ。若い教師であれ、教職経験のない民間人であれ、能力さえ認められれば、学校経営の責任を担うことができる。同制度を導入した理由はただひとつ、教育競争力の強化にあった。いくら国からハッパをかけられても、学校がびくともしなければ無用の長物なので、彼らに現場改革の役目を与えるものだ。
◆国内にも9月から55の学校に「公募校長」が始めて配置される。韓国でも建前は競争力の強化だが、父兄たちはなんとなく釈然としない。その理由は、2つの教員団体である韓国教員団体総連合会(教総)と全国教職員組合(全教組)の食い違った反応のためだ。教総では教育の競争力を重視し、全教組は競争力を罪悪とみなしてきた団体だ。教総では教育の自主性拡大を支持するが、全教組は平等の維持のため、国の介入を要求する。普段からの路線から見れば、教総は校長公募制に賛成すべきであり、全教組は反対するのが理にかなっているが、現実には正反対だ。
◆相互のねらいが異なるためだ。全教組は校長公募制が導入されれば、全教組が支持する教師が校長になりうるので賛成している。さらに、教師たちの手で校長を選出できるようにしてほしいと求めている。いっぽう、教総では、会員のうちには校長や先輩教師が多く、「校長の座」が減っている彼らの立場を代弁する側面がある。教育部では、「折衝案」をまとめたとして、校長公募制を強行したが、審査過程で、さまざまな疑惑が持ち上がっている。
◆昨日公開された教総の実態調査によると、不公正審査に加え、金品授受の疑惑まで持ち上がった。利害の当事者である教総の調査だけに、一概に受け入れることはできないが、問題点があらわになったことだけは間違いない。教育部が急ぎすぎたせいもある。校長公募制は、教員評価制と平衡して行われてこそ成功する。公正で合理的な評価が積み上がっていなければ、校長職の適任者を選べないためだ。教員評価が空白の状態で、急いで校長公募制を実施しようとしたためにずさんなものとなり、雑音が出るわけだ。外国とはわけが違う。とりわけ、教育界の実際の権力者である全教組のイデオロギーの偏向問題や「学校掌握」への憂慮が解消されなければ、教育競争力を高めるどころか、下げる制度になりかねない。
洪贊植(ホン・チャンしく)論説委員 chansik@donga.com