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[オピニオン]沈炯来シンドローム

Posted August. 07, 2007 05:45,   

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6日昼、ソウル劇場の『D−War』上映館。平日の昼の時間帯なのに、夏休みを迎えた子供連れの家族客たちでいっぱいだ。封切り6日で300万人を突破し、韓国映画の歴史を塗り替えるといわんばかりの熱気が確認された。映画はうわさどおりだった。ストーリーはややしまりがなかったが、コンピューターグラフィック(CG)はすぐれている。ハリウッドの大作映画には及ばないかもしれないが、観客たちの反応は良好。「これがすべて国産で、その上監督がコメディアンの沈炯来(シム・ヒョンレ)だというのだから」(40代観客)。

◆「私はあきらめなかった。技術不足に気を揉んだ日々。とうとう『D−War』で私たちだけの技術を完成させた。もう恐いものはない。前を見て走るだけだ」。映画が終わり、最後の画面に沈監督が観客に送る手紙が映った。映画『ヨンガリ』の興行失敗後7年間あまり、だれも信じてくれない道を歩いて来るうちに、いやまして強くなった映画への意志と情熱についての吐露だった。観客たちの力強い拍手が湧き起こった。

◆『D−War』フィーバーは、インターネットでも加熱している。ネチズンのレスは、戦争のように白熱している。「D−Warは映画ではない」と酷評した独立映画監督の李ソン・ヒイル氏のブログはサイバーテロ並みの攻撃を受けている。支持者たちは人間・沈炯来の情熱と根性、あきらめない精神に心を打たれている。『D−War』は、映画を越えて一つの文化現象になりつつあると話す評論家もいる。映画ファンは今、『D−War』を消費するのではなく沈炯来を消費しているようだ。

◆ハリウッドのブロックバスターに慣れた観客には、よほどの国産映画でないと目に入らない。それなのに「わかりやすい映画」の『D−War』が突風を巻き起こしている。観客はどうしても、「インテリ映画」より「親切な映画」のほうを望むかも知れない。組織暴力団、わいせつ映画の洪水の中で、久しぶりに出会った家族映画だから、さらにインパクトはあったはずだ。何より「ボケキャラのヨング・沈炯来」のばか正直なヒューマンストーリーが功を奏したのだ。彼の根性と執念が、浮ついた世の中に一角を占めつつある。「D−Warで映画版のブルーオーシャンを開拓した」といわれているが、筆者の眼には、「ヨングの人生」こそブルーオーシャンだ。

許文明(ホ・ムンミョン)論説委員 angelhuh@donga.com