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[社説]大韓民国を守る指導者を選び、建国の意志を生かそう

[社説]大韓民国を守る指導者を選び、建国の意志を生かそう

Posted August. 15, 2007 07:18,   

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8・15だ。多くの国民が、この日を光復節(クァンボクチョル)としてのみ称えるが、8・15は光復節であるとともに大韓民国の建国の日だ。1945年8月15日、日本の支配から独立した韓国は、米軍政期間を経て、1948年5月10日、国連の決議によって韓国単独の総選挙を実施し、7月17日に制憲憲法を作り、8月15日、大韓民国政府を樹立した。

にもかかわらず、国民は「建国」を忘れて暮してきた。経緯はどうあれ、統一政府を果たせなかったという考えが一つの原因だろう。02年10月の「ソウル成人意識調査」で、建国の主役である李承晩(イ・スンマン)大統領に対する肯定評価が3.1%にすぎなかったという事実が示すように、建国を卑下する歴史認識がまだ社会の一部に残っている。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が建国後の歴史を「正義が敗れ、日和見主義が勢力を得た歳月」と規定したのが代表的だ。輝かしい成就の歴史をこのように否定することは、未熟な左派の度重なる論理であり、先人さえ辱める振る舞いである。

59年前、韓国は辛うじて建国に成功したが、前途に横たわっていたものは、共産主義の脅威と絶対的貧困だった。豊かさどころか、生存そのものが危うかった。このような状況で、建国の指導者たちは近代国民国家の基礎を築いていった。

彼らは、「1775年の独立戦争当時の米国の軍隊に似ている」という米軍顧問官の言葉のように、原始的な韓国軍を率い、米国と国連を説得し、韓国戦争を勝利に導き、韓米相互防衛条約の締結を貫徹して、今日の繁栄のための国家安全の基盤を構築した。近代化と産業化の礎石になった朴正熙(パク・チョンヒ)政府の経済開発計画も、1960年の李承晩政府の復興部が準備した「第1回3ヵ年計画」に根ざすものだった。

歴史とは、このように綿々と続くものだ。建国後、独裁、反人権、腐敗などの否定的な姿も少なくなかったが、世界のどの国も韓国のように一世代で近代化と民主化を同時に果たすことはできなかった。自己卑下と敗北主義に陥っている理由はない。千年の貧困を追放した大韓民国が、住民を飢えさせる世襲王朝と同じわけがない。

第17代大統領が就任する来年は、建国60周年の年だ。国民が、建国の歴史を共有する時、社会統合も果たし、国家エネルギーも蓄えることができる。最近の世論調査を見ると、建国後の歴史を「誇りに思う」と答える国民が増えている。このような国民が大韓民国を守る指導者を選び、先進韓国を導いていかねばならない。