現代人にとって、狩りは趣味に過ぎない。わな、落とし穴を利用した狩りの方法も、忘れられた過去の伝統でしかない。しかし、先史時代以降、狩りは生業のすべてであり、農耕時代と近代においても暮らしの重要な部分を占める「文化」だった。
民俗学者の金グァンオン(文化財委員会・民俗文化財分科委員長、写真)仁荷(インハ)大学名誉教授は11日、「狩猟はわが民族の基層文化を把握できる原型だ」と述べた。金教授は最近、韓国国内で初めて東アジアの狩猟文化史を集大成した「韓・日・東シベリアの狩猟」(民俗院)を刊行した。
「韓国における狩猟文化史の系図を描き、世界の狩猟文化史の系図に加えたのが成果といえば成果でしょう。文化史の研究では、東アジアで韓国の文化がどのような位置を占めているかを比較分析することが重要です。しかし、狩猟の歴史を他の文化と比べるどころか、それ自体をきちんと整理した研究もなかったのです」
金教授は1950年代、北朝鮮の学者が書いた3〜4ページの「妙香山(ミョヒャンサン)狩猟道具」以後に発表された研究や書籍は、狩場と獲物の分布地域を整理した「狩猟ガイド」のレベルがほとんどだと指摘した。氏は、「日本の狩猟文化は朝鮮から伝わっているのに、朝鮮の資料が足りないせいで研究を遅らせている」という日本の学者の言葉に接し、赤面したこともあるという。
金教授は今回、朝鮮王朝実録、高麗史、三国史記などの正史だけでなく、三国遺事をはじめとする野史、朝鮮前期の随筆集「慵齋叢話」といった個人文集、「東史綱目」など個人が出した史料をすべて渉猟した。氏の言葉通り、「狩猟についてこれ以上出るものはないほど」だった。津々浦々の山村の老人を訪ね、昔の狩りの方法を聞く現地調査もともに行われた。
「わが民族の根はシベリアとモンゴルにあるので、韓国、日本、東シベリアの狩猟文化も一筋につながっているはずだと予想していました。狩猟文化や狩猟法の提議など多角的に分析し、それを実証しました」
金教授は研究過程で「お互いに会うことができない考古学と歴史学の限界」を思い知らされた。彼は「考古学者は土の中から出た遺物しか、歴史学者は文献にしか関心がない」と指摘し、その例として先史時代の落とし穴の遺跡を挙げた。
日本は20年間で、落とし穴の遺跡を数十万基も発掘した。韓国は2000年代以後、わずか200余基しか発見していない。韓半島に落とし穴の遺跡が少ないためではなく、狩猟の歴史に無関心な考古学者が放置してきたためだ。
氏は、東アジアの狩猟文化の共通点と差異を最もよく表す狩猟法として、わなを使った狩りを挙げる。韓国の「ヤントル」は垣を作ってその上に丸太を乗せておき、餌に触れた動物に襲い掛かるよう工夫されており、「ウェヤントル」は蓋にする丸太の片方だけを引き上げるものだ。日本の「アキビラ」と東シベリアの「ドウイ」が「ウェヤントル」に類似している。
「ドウイは蓋になる丸太を片方だけ引き上げるもので、ヤントルより性能が低く、日本のアキビラはヤントルより複雑です。韓半島の狩猟法が東アジアで一番精巧だったという推定が可能です」
金教授は踏み臼、しょいこなど農機具と伝統遊戯の文化史を東アジア地域全体の中で眺望する研究を続けてきた。以後、犂(スキ)、碾き臼の文化史にも取り組む計画だ。氏は、「文化の伝播と移動を無視したまま、自分の国の物ばかり研究しては限界に直面する」と語る。
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