「金ヨンモ・パン屋さん」では、親子が一緒にパンを作っている。息子(26)さんは、小学生時代は勉強が苦手だった。有名な家庭教師に教わってもだめだった。息子は本を開きさえすれば頭が痛くなったという。父親はせめて高校でも卒業させなければと哀願した。高校中退の父親は、学歴の低い悔しさを誰よりもかみ締めていた。しかし、勉強は無理に強制させるようなものではなかった。息子は「僕もお父さんのようにパンを作りたいんです」と話した。2代目の家業は父親の意志ではなく、息子の反抗から始まったわけだ。
◆パンを作るというのがどれくらいきつい仕事なのか。貧乏だったので高校1年を終了し、中退した金ヨンモ(54)社長は、食べ放題でパンを思う存分食べたいという思いでパン屋さんに就職した。あまりのきつさから途中で飛び出したいと思ったときも多かった。彼の内面から噴出さんばかりの悲観と憤りが発効され、パンのように徐々に焼かれた。パンを練りこねて感情をコントロールする手法を会得し、パンを焼いて待つことを学んだ。息子の情熱には期待以上のものがあった。父親には生活の手段だったパンが、息子にとっては楽しい遊びのようなものだった。水泡が手のひらにいっぱいできてもにこにこするばかりだった。金社長は、惜しいと思いながらも一方ではうれしくも思った。
◆金社長は息子が小学校を卒業すると、すぐフランスの製菓職業学校に送った。息子は危うく4本の指が切断されそうになった大きな事故にも遭っても、製パンの勉強にまい進し、韓国人としてははじめて2003年国際技能オリンピック製菓部門で銅メダルを手にした。金社長は、子どもの教育とは、嫌がる勉強を強制にさせるよりは、好きなことをさせてやるものだと考えるようになった。父親が息子から逆に教わった格好だ。
◆金社長は、ソウル江南区道谷洞(カンナムグ・トコクトン)のタワーパレス店など、4店舗、130人あまりの従業員を擁している。単なるパン屋さんの店主ではない。1998年大韓民国製菓技能長、7月「同月の技能韓国人」として選定されたパンの職人だ。「おいしくて綺麗で消化もされやすいパン」を作るための技術開発は一日も休まずに続けている。金社長は「ヨーロッパのパン名家のように、代を継がせて『時間を売るパン屋さん』を作りたい」と抱負を語る。「金ヨンモパン屋さん」は、新しいパン屋さん文化を作っている。
許文明(ホ・ムンミョン)論説委員 angelhuh@donga.com