韓国の国家競争力が、開発途上国の中国やインドにまで押される理由は、政府の非効率と過度な規制のためだ。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府が、「仕事のできる大きな政府」を掲げ、5年間、人材と予算をふくらませた結果、公共部門に非効率と道徳的弛緩(モラルハザード)が蔓延したことは、国民が目撃したことだ。フランスのサルコジ大統領が、政府を含む公共部門を大々的に縮小改革する「国家改造作業」に取り組んだのを見て、国民はただうらやんでばかりだと考えるか。
次期政府は、重い公共改革の課題を引き継ぐことになった。現政府が行った公務員の増員、機構拡大、公企業の拡張と放漫経営、委員会の増設、行政規制の増加のような公共部門の肥大症を治癒しなければならないためだ。にもかかわらず、大統領選挙を1ヵ月残した時点で、候補たちは具体的な公共改革の公約を出さず、いまだに真剣な討論もない。
ハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)党候補が先週末、56の政府省庁を10に統廃合し、公企業の民営化と経営効率化を推進するという公約を発表した。方向はおおむね正しいが、公務員数を現水準で凍結するのは間違っている。現政府の6万5000人増員をそのまま認めるという意味であり、政府肥満の深刻さに対する認識が不十分だ。おそらく公務員票を意識した公約で、改革意志が不十分であり、予算10%の節約を約束したものの、具体性に欠けている。
大統合民主新党の鄭東泳(チョン・ドンヨン)候補は18日、経済政策として250万の雇用創出を重ねて言及したが、公共改革構想は出さなかった。先月「『委員会共和国』という汚名を着た盧政府を改革する」と言った。しかし、福祉などと関連して、現在の「大きな政府」を継承する姿勢であり、改革の期待には不十分だ。
公共部門の改革は、政権初期に推進してこそ可能だというのが、先進民主主義国家の共通の経験である。国民はネガティブ攻防だけに目を向け、政策選挙は失踪したかのようだ。有権者は、公共部門の関連公約に特に注目し、候補たちにより具体的な公共改革の公約を要求すべきだ。公共部門従事者が税金を浪費し、成果給でわきあがり、神の降臨した職場で遊んでいる間、その負担はそのまま国民に戻ってくる。