仏家では袖振り合うも多生の縁と言う。ところでその袖を一度振り合うためには前生で3000回の縁がなければならないと言う。元大統領の金泳三(キム・ヨンサム)氏は1993年2月に一面識もなかった李会昌(イ・フェチャン)最高裁判事を監査院長に起用し縁を結ぶ。二人はそのように良い縁で出発した。しかし、監査院長を経て首相に起用された李氏が、127日目にして権限行使に不満を示して突然辞任し、二人の関係はこじれ始める。
◆それでも金泳三氏は1996年4月、総選挙直前に李氏を新韓国党の選挙対策委員会議長に迎え入れることで、李氏に政治の道を開く。李氏が大物政治家になれたのも金氏の「おかげ」だった。大統領選挙を1年以上先に控えた同年8月、党内でいわゆる9龍の大統領選挙競争が熾烈な時、金氏は李氏に向けて「ワンマンには未来がない」と警告する。これに対して李氏は身をひくどころか「非民主的な政党には未来がない」とむしろボスに向けて反旗をひるがえした。
◆二人の関係が決定的な悪縁に変わったのは、1997年10月頃だ。大統領選挙候補である李氏は二人の息子の兵役不正疑惑で支持率が墜落するや、国民会議の大統領候補である金大中(キム・デジュン)の秘密資金疑惑を最後の切り札として切った。しかし、助けてくれると思われていた金元大統領は、「公正な大統領選挙管理」を理由に金泰政(キム・テジョン)検察総長を呼んで捜査を大統領選挙以後に延期するよう指示する。これによって、李氏は金元大統領の離党を要求し、甚だしくは李氏の支持者たちが慶尚北道浦項市(キョンサンプクド・ポハンシ)で金氏のマスコット火刑式まですると、金元大統領は大統領選挙を40日余り控えて離党する。李氏は同年、大統領選挙で落選した。
◆三度目の大統領選挙に出馬した李候補に向け、金泳三氏は22日「自分が携わった政党と候補に刀を突き付けている」とし「まず人間になれ」と毒舌を飛ばした。72歳になった大統領候補に「人間になれ」と一喝した前職大統領の方にもっと問題があるのか、それとも、自分を二度も大統領選挙候補にしてくれた党を離党した後、その党の公式候補を傷つけるのに汲々としている李候補の自業自得だろうか。
李進寧(イ・ジンニョン)論説委員 jinnyong@donga.com