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高宗の「秘密の門」が写真で確認

Posted December. 18, 2007 05:25,   

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1896年2月の露館播遷以降の1年間、高宗(コジョン、朝鮮時代の最後の王)がロシア公使館から徳寿宮(トクスグン、当時の名称は慶運宮)を秘密裏に行き来する時に利用していた石垣道と門を撮った写真が初めて発見された。徳寿宮からロシア公使館につながる道の様子が初めて確認されたことにより、同一帯の文化遺跡を原形に復元する上で重要な資料になるものと見られる。

明智(ミョンジ)大学の李トゥンス教授は最近、米週刊誌のハーパーズ・ウィークリーの1897年7月24日付に載せられた同写真を発見して、17日に公開した。米国の有名な写真作家だったウィリアム・ヘンリ・ジャックスン(1843〜1942)が韓国を訪れた1896年に撮ったもので、「ロシア公使館」というタイトルが付けられている。

同写真は米国公使館(現米国大使官邸)のすぐ北側からロシア公使館の東側に向けて近接撮影したものだ。写真に写っている石垣道と小さな門は、当時、米国公使館の北側、徳寿宮・璿源殿(ソンウォンジョン)区域(歴代の王様の肖像を奉安したところで、現在、徳寿宮の西北側の旧キョンギ女子高校の敷地)の南側、ロシア公使館(現在、建物の塔だけが残っている)の東側が互いに接している地域に位置している。

この道と門は、1900年代初めに作成された徳寿宮の図面にも出ている。この道と門を通じて、高宗がロシア公使館と徳寿宮を往き来していた事実はすでに知られていたが、実際の姿は確認されておらず、2003年には石垣道があった所から礎石が発見されたこともある。露館播遷当時、高宗が景福宮からこの道を通じてロシア公使館へ居所を移したという見解もある。

写真を綿密に検討した文化財委員の金ジョンドン(建築史)牧園(モクウォン)大学教授は、「ロシア公使館の東の方とすぐ隣の徳寿宮の石垣道が非常に詳しく出ているため、徳寿宮とロシア公使館の建物の研究や復元に重要な情報を提供するだろう」と述べた。



kplee@donga.com