「ご飯が空」(1975年)と言った人は詩人、金芝河(キム・ジハ)だった。彼は「空を一人で持つことができないように、ご飯はお互いに分けて食べるものであり、空の星を一緒に見るように、ご飯は多くの人が分けて食べるもの」と言いながら、独占経済で疏外された民衆の代わりに「ご飯を分けてほしい」と叫んだ。1980年代に労働運動の象徴だった詩人、朴ノヘは「生計が空」と言った。「わが3人家族の生計を握っている社長も空であり、プレスに撮れた手を付けることも、障害者にすることもできる医者も空」とし、「お互いに相手に青い空になるそんな世の中」を夢見た。
◆生きることを一言でまとめると、ご飯を食べることだとも考えられる。生が厳しいというのは食べるために働くことがそれほど難しいというのだ。貧しかった時代にはお腹がすいて死ぬことも多かった。詩人の金ヨンソクが「ご飯を見ればお墓を思い出す」と言うほどだった。「小学校の村の裏山のあるお墓の前には/お墓の模様のように丸く高く盛った/白いご飯一杯が置かれていた/去年凶年に飢え死にした人の/墓だった」(「ご飯と墓」)。
◆ご飯は「人倫の基礎で思惟の土台」(小説家・金フン)なので、ご飯の前でふざけてはならない。「いくら世の中が変わって良くなっても、人はご飯を食べてこそ生きることができ、先端情報とコンピューターが時代を導いていっても誰かは雨、風にさらされ、日差しの強い田畑を這いながら一日三食ご飯を食卓に載せなければならない」(朴ノヘ)。世の中にはご飯よりもっと神々しくて本質的なものなどもあるだろうが、ご飯なしにはそれよりもっと大事なことなどを実現できない。
◆大統領選挙で「食べていくのが大変なので、変えてみよう」という叫びが出たのが1956年だ。1人当りの国民所得が400ドルだった時だ。50年余り経って2万ドルになったが、再び「食べていくのが大変なので、変えてみよう」という国民の心が、野党候補を圧倒的な票差で当選させた。進歩、分配、自主、平等といった善が民衆の生計を切った悪になったのに対する厳重な審判だった。結局「ご飯」(経済)だ。「ご飯が、すなわち空(民心)」であり、時代精神だ。キリストは「ご飯が汚いのではなく言葉が汚い」と語った。言葉ではなくご飯のための政治の時代が開かれるのだろうか。
許文明(ホ・ムンミョン)委員 angelhuh@donga.com