「不人気種目はメダルを取る時だけスポットライトを浴びます。ハンドボールが『不人気』なら、スキー・ジャンプは『不毛の地』と言えるでしょう」
女子ハンドボール代表チームの実話を素材にした映画『我が人生の最高の瞬間』が注目を集めていることから、ハンドボールに対する関心が再び生き返えているこの頃、スキー・ジャンプを開拓するため、劣悪な条件の中でも黙々と汗を流す選手がいて、話題を集めている。
「タルビシオの奇蹟」の主人公である韓国スキー・ジャンプの看板選手、チェ・ヨンジク(26)。
チェ・ヨンジクは03年、イタリア・タルビシオで開かれた第21回冬季ユニバーシアードで、韓国が初めて世界規模大会のスキー・ジャンプ個人戦と団体戦で金メダルを獲得した時、団体戦(K−90)のメンバーだった。登録選手7人のうち国際大会に出場できる選手が5人しかいない現実の中で、登録選手1000人以上の欧州選手を追い抜いたのは奇蹟だった。
●10歳からスキーを始め…テクニック良く、発展可能性高い
全羅北道茂朱(チョルラブクド・ムジュ)出身のチェ・ヨンジクは10歳の時からスキー・ジャンプに魅了され、1998年長野、02年ソルトレイクシティ、06年トリノの三つの五輪に連続出場し、03青森冬季アジア大会では金メダルを獲得した。W杯と世界選手権でずっと上位圏に名前があがっている。昨年、ユニバーシアード個人戦では銀メダルを取った。
しかし、現実はこの上なく劣悪だ。物質的、金銭的支援はほとんどない。7人だった選手は、一人辞め、二人辞め、今は4人しかいない。所属チームは最初からなく、大韓体育会からもらうトレーニング費と日当でトレーニングしている。これも代表チームのトレーニングがなければもらえない。江原道平昌(カンウォンド・ピョンチャン)が冬季五輪誘致戦でロシア・ソーチに負けた後、状況はもっと難しくなった。ユニバーシアードと冬季アジア大会で取った金メダルのおかげでもらえる月30万ウォンの年金が個人収入のすべてだ。夏(2か月)と冬(3か月)に欧州大会に参加する以外は、韓国で各種アルバイトで小遣いを稼ぐ。
●金ヨンファ監督、スキー・ジャンプの現実を描いた映画製作に
でも夢は捨てられない。チェ・ヨンジクは、「率直に言って、生計を立てることさえ難しいです。しかし、もうちょっと投資すれば出来ると思うので、諦められません」と述べる。チェ・ヨンジクは空中動作と着地などテクニックが良く、まともなトレーニングさえ受ければもっと大物選手になれる、というのが専門家たちの評価だ。
このような中で、『美女はつらいわ』を作った金ヨンファ監督が、スキー・ジャンプ国家代表選手たちの劣悪な現実を描いた『国家代表』(仮題)を企画しており、関心を集めている。チェ・ヨンジクは、「ハンドボール映画のように、スキー・ジャンプが少しでも関心を引けたらと思います」と話す。
チェ・ヨンジクは、欧州で開かれるW杯に出場するため16日、ドイツに発った。経費が不足し、その間集めたマイレージで飛行機のチケットを手に入れたという。
yjongk@donga.com