李文烈(イ・ムンヨル)の小説『選択』には朝鮮(チョソン)時代の宣祖(第14代王)の時の実在人物であるチャン氏夫人が貧しい村の人々を助ける内容が出てくる。「私は毎朝、婢僕(下女と下男)に、村を回ってみるようにさせた。煙突から煙が出ていない家を見つけるためだった。煙突から煙が出ていないということは食事を欠いているという意味だった。私はそんな家に向こう見ずに同情で穀食を与えたりすることはしなかった。まずその家で働けそうな者を呼び、何か仕事をさせてから、その労働の賃金として穀食を送った」。
◆日本の植民地支配時代に平壌(ピョンヤン)屈指のお金持ちでペク氏という未亡人がいた。16歳の時に主人と死別した後、生涯一人暮らしをしながら金を蓄えた。守銭奴と後ろ指を差されながら暮らしてきたペク氏は還暦を迎えた年に初めて慈善活動を始めた。学校に巨額を寄付し、平壌市内に大きな公会堂を建てた。彼女が1933年86歳で世を去るまで、社会に寄付したお金は現在の価値で300億ウォンを超えた。ペク氏は財産を惜しまずに、施して去ったのだ。彼女の葬式には平壌市民1万人が参加し哀悼した。
◆このように慈善と寄付は心から湧き出た時に美しい。一昨日、柳仁村(ユ・インチョン)文化体育観光部長官候補者に対する聴聞会では、財産の還元を巡ってみっともない場面が演出された。民主党の孫鳳淑(ソン・ボンスク)議員が、財産が140億ウォンにのぼる柳候補者に「演劇界のために私財から寄付をする意思があるか」と聞いたのだ。柳候補者は即座に「ある」と答えた。孫議員の質問は聴聞会場というその場の性格の上においても、けっして適切ではなかった。柳候補者が「ない」と答えていたら、今度はさらにどんな追加質問をしていただろうか。では孫議員自身は、多かれ少なかれ世間のために私財を投げ出しているのか、美しき寄付行為をたくさんしているのか、疑問だ。
◆柳候補者が寄付をしても演劇に携わる人らは喜ばないであろう。「強要された寄付」や「代価を望む寄付」は美しくない。助けられる側の気持ちも配慮することができた昔の人々の心遣い、受ける側も心よりその有難みを感じることができた、その純朴さを受け継ぐことが重要だ。お金持ちの自発的な寄付文化が活発になることは良いことだが、政治・社会的に圧迫するかのように寄付を迫ることはみっともないことだ。
洪贊植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com