韓国版「スティーブ・ホーキング教授」と呼ばれるソウル大学地球環境科学部の李サンムク教授は、同大学の李建雨(イ・ゴンウ、工学部)教授に初めて会った時、次のようなあいさつを交わした。
「ところで、私のことをご存知ですか」
昨年春、ソウルのあるホテルだった。李サンムク教授は、06年7月の交通事故で全身がマヒした自分に、李建雨教授が1億ウォンをくれる理由がわからなかった。同じ大学だが、個人的にはまったく知らない間柄なのに、なぜかと思った。李建雨教授は、前途有望な学者が大事故に遭ったという知らせを大変残念に思ったという。
何か助けになりたいと考えていたところ、同年11月にキョンアム学術賞を受けた。李建雨教授は、「(李サンムク教授を助けろという)神の啓示と思い、賞金を贈った」と淡々と述べた。
6日、ソウル大学冠岳(クァンアク)キャンパスの研究室で会った李サンムク教授は、「名前も知らない私のために大金をくださるという事実が、信じられなかった」と感謝した。
李サンムク教授は、米国で自動車横転事故に遭った。カリフォルニア州のカリッツォプレイン国立公園で地質調査をしていた時だ。
事故で首から下が完全にマヒした。一緒に車に乗っていた教え子5人のうち、李ヘジョンさん(女性、当時24歳)はその場で亡くなった。指一本も動かない自分の境遇、若くしてこの世を去った教え子のことを考え、つらい日々が続いた。
見ず知らずの李建雨教授がこの時、キョンアム学術賞の賞金1億ウォンを彼に贈った。
リハビリの時間は苦しく、しかしゆっくりと過ぎた。そして昨年3月、李サンムク教授は、特殊製作の車イスに乗って教壇に復帰した。
東亜(トンア)日報の記者が6日、ソウル大学23—1棟の講義室304号を訪れた時、教室は約30人の学生でざわついていた。
「海の探求」を講義する李教授が入ってきて、「さぁ、それではまず出席からとります」と言うと静かになった
李教授は、息で作動する特殊マウスを利用して、ノート・パソコンのファイルを開き、出席簿にある学生の名前を一人ひとり読み上げた。そして、資料を画面に開いて授業を進めた。
李教授は、首から上の顔だけが動くが、ネットサーフィンをして論文を書く。電話とコンピューター、車イスを連結して、電話も直接かけることもできる。
李教授は、「事故に遭って障害者になったが、決して挫折しないと心に決めた。私のように指一本動かすことのできない人々に『このように生活できる』という希望を与えたい」と話した。
そして彼は、さらなる希望を分け与えようとする。教え子の名前をつけた「李ヘジョン奨学基金」を通じてだ。私財の5000万ウォンと学校の支援を受けて設立した。
李教授は、「面識もない多くの方から助けを受け、今のように活動できるようになった。これからは、私が他の人の力になるよう努力する」と語った。
彼に「希望の種」を伝えた李建雨教授は、「大げさな意味で始めたのではない。キョンナム学術賞を作ったソン・グムジョ会長から始まった一粒の小さな助け合いが、徐々に大きくなるのではないか」と言って謙遜した。
李サンムク教授の感動的な話が知れ渡り、障害者雇用促進公団をはじめ、多くの団体が講演を要請してきた。研究協力の提案も相次いでいる。
李教授は、「一日一日が大変早く過ぎる。奨学金であれ講義であれ、体の不自由な人に希望を与えることなら、すべてやりたい」と話した。
「今やっと分け合うことが希望になり、その希望がまた分け合いにつながるということを実感する」
講義の準備のために息を吹いてマウスを動かしていた李サンムク教授が、記者を見て明るく笑った。
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