▲「戻ってきたが、闇の中で暮らす」〓ある住民は、「事件後、姿を隠していたチョ氏の両親は、静かに戻ってきたが、今も昼はほとんど姿を見せない」と話す。
チョ・スンヒ氏の家族は今まで、マスコミのインタビューはもとより、総領事館との面談も拒否してきた。
家族側弁護士のウェイド・スミス氏は12日付のワシントンポストとのインタビューで、「彼らはずっと闇の中で暮らしている。いつかは話せる時が来るだろうが、今は何も話そうとしない」と語った。
ワシントンポストは、チョ・スンヒ氏の姉(27)が現在、国務省の民主・人権・労働担当の部署で働いていると伝えた。チョ・スンヒ氏の姉は、プリンストン大学を卒業し、事件当時はニューヨークにある国務省の関係会社に勤めていた。
1年が経ったが、事件の核心には依然として解けない疑問が多い。事件直後、韓国内の一部では、「移民不適応」などの社会の構造的要因に起因する犯罪と見ていたが、捜査の結果、チョ・スンヒ氏個人の精神疾患による犯罪だったことが明らかになった。
チョ・スンヒ氏は幼い頃から、精神疾患と診断されてよいほど深刻な孤立症状を見せており、両親も医学的・宗教的な方法を使って治療を試みたが、効果がなかったという。彼が、大学入学後、女子学生をストーキングした容疑で警察の捜査を受け、裁判所が精神科の治療を命じていた事実も明らかになっている。
しかし、彼がなぜ、事件当日の未明に学生寮にいる女子学生を訪れて殺害したのか、なぜその後ノリスホール(工学部の建物)に行って、30人を無差別に射殺したのかは、依然として明らかになっていない。チョ・スンヒ氏と第一被害者である女子学生との関についても、警察は特別な関係はなにもつかんでいない。
▲大学は1日休講…追悼式の準備〓ノリスホールは昨年9月に再び開館されたが、銃撃が起った講義室は今も閉鎖された状態だ。銃弾が撃ち抜いた講義室のドアは新しい木に替わったが、ドアのノブはない。建物の別の階は、機械工学や事務所、教授・大学院生の研究室として使用されている。
大学側は、銃乱射の惨事を教訓にするために、ここを「平和・暴力防止センター」として活用する案を推進している。
大学本部の建物の前方に、32の追悼碑が設置された。学校側は、16日を「追悼記念日」と定めて休講にし、様々な追悼行事を行なう計画だ。
韓人学生会長のユ・ヒョンスン氏(30、産業工学科博士課程)は12日、「学校は落ち着いたムードだ。韓人学生会として、団体で行事に参加する案などを話し合ったが、集まって集団行動をするのは適切ではないと判断した」と話した。
ユ氏は、「私が知るに、学内ではチョ・スンヒ事件を『韓国人による犯罪』と考える人はいない。むしろ、これまで米国社会の全般的な銃管理問題が浮上している」と話す。
16日、ワシントンの最高裁判所と議事堂前では、事件の負傷者と銃規制を求める団体関係者らが、「平和のためのベッドイン(Bed-In for Peace)」デモを行なう計画だ。
しかし、銃規制は依然として何の進展もない。精神疾患者の銃購入を規制する手続きを強化する法が作られ、学校ごとに危機管理および精神疾患者の管理システムを強化したことぐらいが、これまでの進展として挙げることができる。
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