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朴仁妃、全米女子オープンで最年少チャンピオンに 

朴仁妃、全米女子オープンで最年少チャンピオンに 

Posted July. 01, 2008 03:13,   

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「PAK(朴セリ)のポストにPARK(朴仁妃)が代わった」

ニューヨーク・タイムズをはじめ、米主要マスコミは、全米女子オープン選手権で最年少チャンピオンに輝いた朴仁妃(パク・インビ、20)の登場をこのように表現した。

30日、米ミネソタ州エディナのインターラーケンCCで終わった第63回全米女子オープン最終4ラウンド。応援に駆けつけた数百人の地元の韓国人らは、朴仁妃が世界の強豪を抜いて痛快な逆転優勝でメジャータイトルを獲得する瞬間、まるで自分のことのように喜んだ。太極旗を手に持った小さい子どもやベビーカーを押してきた熱烈な親、白髪の多い年配の人も目についた。ゴルフ場近くの地元の韓国人の家の窓には、「祝賀」とハングルで書かれたフラットカードまで掲げられた。

大会が行われたミネソタ州には、約1万人の韓国人が住んでおり、養子に迎えられた韓国人はその倍の2万人を上回る。地元の韓国人は、人口が多い理由を、養子縁組の文化が発達した北欧州系の移民者の子孫が多く、人種に対する偏見が少ないことから、韓国人の養子縁組をスタートの段階から主導した地域であるからだと説明する。

様々な事情で不慣れな土地に渡ってきたものの、彼らは母国のニュースに耳を傾け、郷愁に駆られることが多い。しかし、最近、米国産牛肉の輸入をめぐる葛藤をはじめ、デモ隊と警察の対立、景気低迷のような憂鬱なニュース一色で、心を痛めた時が多かった。同日も、米国の主要放送のニュースはソウルで発生した暴力デモの場面を大きく報道していた。

そのこともあり、地元の韓国人らは朴仁妃の今回の快挙をいつにも増して喜びつつ、通貨危機に見舞われた10年前のこの大会で優勝した朴セリを思い浮かべた。当時、朴セリは「素足の闘魂」で延長の接戦の末、優勝を果たし、地元の韓国人に勇気を与えた。韓国人のゴルファーがミネソタ州で行われた大会で優勝したのも1999年三星(サムスン)ワールドチャンピオンシップの時の朴セリが最後だったため、地元の韓国人にとっては格別な思い出として残っている。

10年前、米国へ移民したナム・ホンギュ氏(42)は、「韓国の今の状況が厳しい中、若い韓国人の選手がこのように大きな大会で優勝し、嬉しくて元気が出る」と話した。地元のパク・チョンヒ氏(50)も、「ロウソク集会が変質してしまったようで残念な気持ちだったし、国のイメージも傷つくようだったが、久々に嬉しい気持ちになった」と笑顔で話した。

朴仁妃がゴルフを始めたきっかけも、朴セリだった。彼女の両親はゴルフマニアだった。ペットボトルの包装材事業を行う父親の朴ゴンギュ氏(46)は、アンダーパーのスコアで打つほどのレベルで、母親の金ソンジャ氏(45)は彼女を妊娠して8ヵ月になった時にもラウンドを楽しんだ。

「ゴルフマニア」の両親の下で育てられたが、朴仁妃はテニス・水泳・剣道といったスポーツはしたものの、ゴルフは楽しくないからとやらなかった。そんな彼女だったが、京畿道城南市(キョンギド・ソンナムシ)のソヒョン小学校4年時の1998年、朴セリの優勝場面を家族そろって夜を明かしながら見守り、その2日後にはゴルフクラブを手に取っていた。

運動と勉強を両立させるため、中学1年生の時に米国に留学した彼女は、全科目でAをもらうほど勉強もできた上、米ジュニア大会では9勝を上げて、有望株として注目された後、06年にプロに転向した。

昨年、米女子プロゴルフ(LPGA)レギュラーツアーに飛び込んだ朴仁妃は、シーズン序盤6回も予選で脱落した。しかし、14回目の出場となった全米女子オープンで4位タイに並び、自信を取り戻した。特に、彼女は今回の優勝で朴セリが持っていた従来の大会最年少チャンピオン記録(21歳)も塗り替えた。

今大会を通して太極旗文様のボールマーカーを帽子のつばにつけて使用した朴仁妃は、「朴セリ選手に感謝の言葉を伝えた。朴プロに大きく影響された。私だけでなく、私と同じ年の人ならみんなそうだったはずだ。まだまだ先が長いので、さらに頑張っていきたい」と話した。

朴セリ以後、10年が経ち、朴仁妃が再び暗たんたる国内の現実に希望のメッセージを伝えた。



kjs0123@donga.com