中国は08年の北京オリンピックをきっかけに、大きな翼を広げている。共産党政府はもとより、一般国民も未来への自信にあふれている。しかし、中国の先行きについてのは見方が分かれる。1964年と1988年、偶然にも20年あまりの時差でオリンピックを開催した東京とソウルを比較しながら、北京の先行きを占う。
オリンピックを開催した時期に、3国の中間層は厚くなったのみならず、豊かな暮らしへの熱望も熱かった。3国はオリンピックを足がかりに、世界舞台へと躍り出た。
それ以来、日本は最近になってダイナミズムを失い、韓国社会も成熟社会への入り口に差し掛かって、社会的な変化を経験している。人口13億人の中国は経済成長と社会主義体制という「2頭のウサギ」をつかもうとする、かつて類を見ない実験を行っている。
にもかかわらず、東京から北京での開催までにかかった44年の間には、「アジアのプレゼンス」がいっそう高まった時期でもある。
アジアが立ち遅れた地域から抜け出し、潜在力やダイナミズムを備えた地域として急激に浮上していることを、世界に示すきっかけとは、他ならぬ「オリンピック開催」であった。
▲世界へ羽ばたく跳躍台〓1964年の東京オリンピック当時、日本の1人あたりの国内総生産(GDP)は835ドル。これを現在の価値で換算すれば約3300ドルだ。1世帯あたりの白黒テレビの普及率は80%程度。
韓国銀行によれば、オリンピックの開催が決まった1981年、1800ドルだった韓国の1人あたりのGDPは、1988年は4000ドル程度。昨年、中国の1人あたりのGDPは2400ドル台だった。
もちろん、経済規模は異なる。昨年世界4位だった中国の経済力は今年、世界3位へと上がるものと見られ、21世紀の中頃になれば米国と肩を並べるものと見られている。
オリンピック直前まで、3国共に二桁の経済成長率を示していた。オリンピックが世界へと羽ばたく踏み台となっている。
3都市はオリンピックに前後して、道路や交通網などのインフラの整備が早いスピードで進められた。東京オリンピック開催直前の1964年10月、東京〜大阪間の新幹線が開通した。地下鉄や首都高速道路もこの時に完成した。
北京では世界最大規模の空港ターミナルがオープンし、時速300キロの新幹線が開通した。中国がオリンピックを控え、オリンピックに直接つぎ込んだ費用は、スタジアムの建設費132億元を含め、2932億元(約43兆9800億ウォン)に上る。さらに、中国が01年7月以来投資してきた間接費用まで含めると、1兆5000億元(約225兆ウォン)に上る。
韓国もソウルオリンピック開催のため、2兆3800億ウォンあまりをかけて、都市を大々的に整備した。
▲オリンピック後、一時的な経済低迷も経験〓息切れするほどハイテンポのインフラ整備の後遺症として、東京とソウルはオリンピック後、1年間程度は経済成長が減速する現象が現れた。
日本は1965年、「オリンピック不況」という言葉が出回ったものの、同年11月から高度成長に差し掛かり、1970年7月にかけて57ヵ月間の景気拡大期が続いた。同期間、年平均経済成長率は11.5%に達し、労働者の給料は79.2%増となり、個人消費は年平均9.6%増となった。
東京オリンピックを控えた日本人の夢は、白黒テレビや冷蔵庫、洗濯機の「3種の神器」を持つことだったが、オリンピックを経てからは、これらが3Cへと移った。カラーテレビやクーラー、自動車がそれである。
韓国も「オリンピック不況」を経験している。年間実質的な経済成長率は1988年の10.6%から翌年は6.7%へと下がった。しかし、1990年に再び9%台へと回復された。
中国の場合、改革開放以後30年間記録してきた年平均9.8%の成長率は減速するだろうという見通しが少なくない。中国政府も最近、量的な成長を重視する「又快又好」戦略から、実質的な成長を重視する「又好又快」へと戦略を見直した。
▲「アジアの浮上」〓東京オリンピックが、敗戦のショックから立ち直って復活した日本が国際社会への復帰を示す象徴的な大会だったなら、ソウルオリンピックは韓国の民主化を世界に告げた大会だった。北京は世界の中心に立つ、「国運の上昇」の夢を見ている。
韓国はオリンピックをきっかけに、1989年=海外旅行の自由化、1990年=ロシアとの国交樹立、1991年=国連加盟、1992年=中国との国交樹立などのグローバル化を本格的に進めてきた。ソウルオリンピックはまた、1980年のモスクワ、1984年のロサンゼルス・オリンピックが東西の片方のボイコットで、半分だけのオリンピックになったのに比べて、12年ぶりに東西陣営が一堂に会した「東西ハーモニーのオリンピック」でもあった。
1964年の東京オリンピックと共に、日本には急激に西洋文化が流れ込んだ。このような自由な雰囲気は1960年代後半の学園紛争などへと繋がった。
中国は、「中華民族の偉大なる復興」を宣言している。しかし、深まる貧富の格差やチベットなどの少数民族問題、言論の自由や人権問題などでのギクシャクした状況は、中国が解決すべき課題となっている。
▲「マナー教育から」は3国共通〓オリンピックは「国民統合の場」としての役割も果たした。
オリンピックを控えて3国は、市民のマナー向上のために大々的なキャンペーンを繰り広げた。「列に並ぼう」や「自分のごみは自分で持ち帰りましょう」とは、1964年、東京で行われてキャンペーンだ。韓国でも1988年を前後して行われた公衆道徳のキャンペーンは記憶に新しい。これは、「世界」という観客の前で、よい印象を示そうという一般市民の積極的な参加無しでは不可能なことだと認識したためだ。
公害は08年の北京のみならず、1964年の東京でも悩みの種だった。
中国政府や北京当局が最も多額の費用や努力を傾けたのも環境対策だった。
北京オリンピックが決まった01年から、北京政府は環境インフラの整備に約42兆ウォンをつぎ込んだという。北京のバスやタクシーに天然ガスの燃料が導入され、ばい煙を噴出する多くの工場は、北京市内から姿を消した。
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