「大きい龍になってほしい」という望みを託して親から「龍大(ヨンデ)」という名前を付けられた。若干の年に五輪の金メダルと共に最高の人気スターに浮上したのだから、名前ほどの成功はもう手に入れたようだ。
しかし、まだまだ先は遠いという事を誰よりもきちんと認識しているからこそ、さらに頼もしい。
08北京五輪バドミントン混合ダブルス金メダリストの李龍大(イ・ヨンデ、20=三星電気、写真)。
この半月間、短くない間に彼は映画の中の主人公のように違う世界を生きた。数々のインタビューと放送出演、ファッション写真集の撮影、プロサッカーの試蹴、サイン会、大統領府訪問、テレビバラエティー番組の収録…。時にはモデルのように、時にはお笑いタレントのように、様々な役割を見事にやりこなした。
「サッカーボールを蹴る姿が格好よかった」と言ったら、「どうやったらカメラに格好よく写るか悩んだすえ取ったポーズだった。うまく蹴るかどうかは次の問題だった」と言って笑った。五輪でカメラに向かってパチッとウィンクをして、「ウィンク王子」と強烈な印象を残した特有の「タレント性」は相変わらずだった。
他の五輪スターに比べて「脇道」が多いことを案じる声も高かった。
いざ本人の考えは違う。「これまで運動にのみ専念していて、五輪でいい成績が出せても出せなくても、五輪が終わると、できなかったことは全部やってみたかったです。この時じゃないとできるわけないですし。この状況を楽しみながら、よい思い出を作りたかったです」。
引っ張りだこになった李龍大は、ひっきりなしに押し寄せる外部スケジュールのため、前から楽しみにしていたことはできなかった未練も大きい。
「先輩らとお酒も飲み、買い物とかどこか遠くを旅行してみたかったんですが…。目が回るほど忙しくて、自分の体が自分のものでないような気がしました」。李龍大の酒量は焼酎2本。
頻繁な外部活動には、不人気種目のバドミントンに対する関心を高めたいという小さい希望もあった。
9月のスタートと共に李龍大は元のところに戻った。3日から水原(スウォン)の三星電気体育館で代表チーム練習に合流し、ラケットを握った。
1日4時間ずつシャトルコックを打ちながら汗を流している彼は、とりあえず今月の台湾オープンと日本オープンは参加しないことにした。パートナーの李孝貞(イ・ヒョジョン)が腰と肩の治療を受けなければならない上、自分も疲労が溜まって正常の体調ではないためだ。10月、故郷の全羅南道(チョルラナムド)で行われる全国体育大会では、ホームファンの前に立つ計画で、大学進学も準備している。
李龍大のヒーローの朴ジュボンは、1996年のアトランタ五輪で32歳の年で混合ダブルス銀メダルを獲得した。李龍大はまだ20歳。12年のロンドン大会を含め、これから3度も五輪に出場できるという期待を持たせる。
「華やかな瞬間はつかの間です。刹那の喜びのために準備をする過程をさらに大事にしていきます」
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