「清らかな露」という言葉があるように、露は純粋さの象徴だ。「秋が幾重にも重なった山の中に入り…一晩中寒さを堪えたら/皿の中に澄んだ水が溜まりました/しかし、その露はあまりにも少なく/のどの渇きを癒すことはできませんでした/一晩中さらに溜めれば、露が溜まるかな…」。詩人・馬鍾基(マ・ジョンギ)は、詩「露の目」で清らかな言葉を汲み上げようとする詩人の苦しみやせつなさを露に例えた。露ははかなさの象徴でもある。きれいでさっぱりした品性の人たちを「雨水と露」によって育てられる蘭に例える。
◆環境運動連合の崔冽(チェ・ヨル)元代表が24日、「市民運動家は『露』を飲んで生きるべきだといわれているが、運動家も最低限の文化的な環境を享受しながら暮らすことのできる権利がある」と話した。自分や環境運動連合に矛先が向けられている補助金横領捜査を「標的捜査」や「政治的な弾圧だ」と主張し、涙まで見せた。薄給や激務に苛まれる市民運動家らの生活を弁護したい気持ちだっただろう。しかし、このニュースを巡るインターネットの書き込みは批判一色だ。「環境運動のために払った税金であり、活動家の文化的な生活のために払ったわけではない」、「文化的な生活をしたければ、人の金ではなく自分で血と汗を流して稼ぐべきではないか」。
◆ある市民団体の代表は、「フリーランサーの一人での運動家ではなく、崔代表のように巨大な組織を率いる管理者なら、常に人件費や運営費を気にしなければならない。『露マインド』になりたくてもなれない」と話した。1993年4月に設立された環境運動連合は登録会員8万人あまりに、会費を払う実会員だけでも3万人余りに上るアジア圏でも有数の巨大市民団体だ。やせた風土でこれだけ成長させた功績は無視できない。検察の捜査について、「狂牛病(BSE=牛海綿状脳症)対策会議」に参加した市民団体を萎縮させる狙いが潜んでいるという見方もある。
◆しかし、もしも検察の捜査で市民団体の幹部らの私利私欲が明らかになれば、状況は変わってくる。国民の税金の支援を受ける団体なら、領収証を完璧に備え、会計も透明かつしっかり処理すべきだった。市民運動家らは公益のための奉仕や犠牲という「露のような精神」を備えてこそ、国民から愛情や尊敬を受けることができる。崔代表が語った「露」がどのような意味を持っているかは検察の捜査が終わってから、はっきりした解釈がなされるだろう。
許文明(ホ・ムンミョン)論説委員 angelhuh@donga.com