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[オピニオン]行政区域の改編

Posted November. 04, 2008 09:27,   

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行政区域の道は、高麗成宗(コリョ・ソンジョン)の時(995年)に初めて生まれた。全国を10の道に分け、各道に節度使を置いた。道は、高句麗(コグリョ)の部、百済(ペクチェ)の方、新羅(シンラ)の州と源を同じくする。現在の道の名称は、1413年、朝鮮太宗(チョソン・テジョン)の時に生まれた8道(京畿、忠清、全羅、慶尚、江原、黄海、咸鏡、平安)が由来だ。朝鮮時代末、漢城(ハンソン)府と13道体制は、1949年に1特別市9道に改編された。1995年に民選自治時代を迎え、1特別市、5広域市、9道に改編され、06年には済州特別自治道ができて、現行の1特別市、6広域市、8道、1特別自治道体制になった。

◆交通・通信が発達していない時代に生まれた道・市郡区の行政区域は、山や川、渓谷などの自然条件によって形成された生活・経済圏が中心となった。行政区域によって、特有の文化とアイデンティティが生まれ、言葉も変わり、地域感情も生まれた。しかし、道路と鉄道が全国をくもの巣のように連結し、インターネットが地上の境界を越えて国土の運用と行政の效率性を高めたことで、地方の競争力強化のために、行政区域を画期的に改編しなければならないという要求が提起された。

◆行政区域の改編は、第17代国会で論議されたが、結論は出なかった。李明博(イ・ミョンバク)政府は、行政区域の改編を100大国政課題に含めた。李大統領と丁世均(チョン・セギュン)民主党代表は9月25日、行政区域の改編を推進することで合意した。全国の市・道知事たちは、大半が行政区域の改編に否定的だ。政界と専門家たちは総論では賛成するが、改編案では一致しない。広域市も、廃止論と存置論のほかに、市郡区の統合論も出ている。自由先進党は、全国を5〜7の広域単位に改編する「強小国連邦制」を主張している。

◆国会・行政安全委員会のハンナラ党幹事である権鍫錫(クォン・ギョンソク)議員は3日、広域市も体制は維持し、230の市郡区を50〜60の市郡区に統合する改編案を国会に提出した。しかし、同党の朴熺太(パク・ヒテ)代表は「権議員の個人の意見で、党との協議はなかった」と線を引いた。行政区域の改編は、自治団体別の利害だけでなく、国民の生活に直接関わる革命的な事案である。必要ならば憲法も直さなければならない。確かに必要ではあるが、今のような国家的経済危機の中で、性急に推進する必要があるかは疑問だ。

権順澤(クォン・スンテク)論説委員 maypole@donga.com