教育科学技術部(教科部)の1級幹部7人が辞表を提出し、国税庁の1級幹部3人も辞表を出した。国家の教育・科学・技術政策と租税行政の中枢の役割を果たす地位だった。1級幹部たちの辞表提出は、李明博(イ・ミョンバク)政府発足以来初めてであり、公職社会への波紋は大きそうだ。
国税庁と違って教科部の場合、最近実施された長官への評価で、安秉萬(アン・ビョンマン)長官が最下等級を受けたことで、組職の刷新として、1級幹部を「身代り」として追い込んだという見方もなくはない。しかし、それよりも、教科部が自律型公立高校の拡大や、国際中学校の新設、左寄り歴史教科書の見直しなど、李明博政府の教育政策をしっかり推進できず、その原因の一つが、まさに金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府時代に力をつけた高級官僚たちの「惰性」のためだという指摘が多い。
李大統領は、「公務員に私の考えがうまく伝わらない」と言い、ハンナラ党の洪準杓(ホン・ジュンピョ)院内代表は、「政権が変わっても、1級以上の公務員が動かない」と公然と述べた。その程度なら、国政の危機も同然である。しかし、そのような中枢神経のマヒ症状を病んでいる省庁は、はたして教科部だけだろうか。政府省庁の1級公務員なら、政権と進退をともにせざるを得ない事実上の政務職である。教科部幹部たちの「勇退」に込められた気持ちを推し量らなければならない理由である。
2010年の地方選挙などを考慮すれば、李政府が実質的に仕事ができる期間は、来年1年だけだと言っても過言ではない。米国発の金融危機から始まった経済難が、来年になれば最悪の状況に突き進むという展望が支配的だ。国家エネルギーをすべて注いで危機を打開しなければならないだけでなく、先進化の基礎を築かなければならない。高級公職者の献身と率先垂範なしには不可能なことだ。
1級公務員だけの問題ではない。これを機に、長官・次官たちも、自らの危機意識と自己犠牲の意志を振り返り、「自分自身には問題がないのか」と自問してみなければならない。与党の幹部が、大統領の面前で、「(国政監査の時に見ると)2つほどの省庁の長官を除いては皆、心もとない」と言ったほどだ。長官・次官が先頭に立たなければ、1級公務員たちを変えたところで意味はない。