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[社説] 入学査定官制の後遺症が心配される韓国の現実

[社説] 入学査定官制の後遺症が心配される韓国の現実

Posted March. 13, 2009 08:11,   

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徐南杓(ソ・ナムピョ)KAIST総長が、一般高校の学生を対象に、無試験、面接だけで150人を選抜すると発表した後、各大学が入学査定官選考を拡大する入試案を、先を争って出している。高麗(コリョ)大学が、今年(2010年)の入試から定員の23.5%を、延世(ヨンセ)大学は16.3%を、入学査定官を通じて選抜すると発表した。ポステックは、新入生300人全員を入学査定官を通じて選抜すると決定し、成均館(ソンギュングァン)大学、漢陽(ハンヤン)大学、韓国外国語大学も、入学査定官選考を拡大する計画だ。

米国の大学が施行する入学査定官制は、修学能力試験(日本のセンター試験に該当)や内申のほかに、学生の性格、創意力、潜在力、素質を評価して、学生を選抜する方式だ。入学査定官制が成功的に定着すれば、学校教育を正常化し、韓国教育の長年の病である私教育への依存度を減らすこともできるだろう。しかし、拙速に推進すれば、良い趣旨は生かせず、予想しなかった副作用と混乱を生む恐れがあるという点で、慎重なアプローチが必要だ。

1920年代に入学査定官を初めて導入した米国は、入学査定官を養成するために多くの投資を行ない、ノーハウも蓄積している。特別活動、ボランティア、自己紹介書、エッセイ、インタビューによる個人評価に、80年以上の経験がある。社会的にも、学校の選抜基準と選択を尊重するムードができている。要するに、大学と社会の関係において、社会的資本である信頼が根本にあるのだ。

韓国の大学が、高校に学生推薦の権限を与えるとしても、学校長が公正で透明な評価システムによって学生を選抜できるか疑問だ。父兄が、数字で現われる点数でない別の評価に承服するかも疑わしい。

大学が自発的に入学査定官制を採択するのではなく、政府の「アメ」政策にひかれて、拙速に行なっているという印象を拭えない。教育科学技術部が、入学査定官制度を取り入れる大学に、総236億ウォンの予算支援を発表すると、大学が十分な準備もなくとび込んでいる。大学が予算の支援を受けるために、形式だけの入学査定官制を実施する恐れもある。

入試政策は3年前に予告するのが普通だが、来年から施行するという大学が多く、入試の第一線である高校と父兄も困惑している。ソウル大学が、入学査定官選考の人員を今年の118人から、来年は22人だけ増加させた140人を選抜するという点に注目すべきだろう。