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「母親の40年の涙を拭ってください」

Posted March. 13, 2009 08:11,   

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「金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏に会った田口八重子さんの息子の耕一郎さんが、1才の時に母親を失ったなら、私は2才の時に父親を失いました。人々は忘れ、政府はそっぽを向きました。公式に北朝鮮に問題を提起している日本政府が、ただうらやましいだけです」

12日、ソウル鍾路区唐珠洞(チョンロク・タンジュドン)のKAL拉致被害者家族協会の事務所で会ったファン・インチョルさん(42)。

40年という長い歳月が経ったが、父親を思うファンさんの涙を止めることはできなかった。父親と過ごしたことを思い出させるのは、父親が親戚の弟とファンさんを抱きしめている色あせた写真1枚だけだ。

69年12月11日、昼の12時25分。乗務員4人と乗客47人を乗せた江陵(カンルン)発ソウル行きの飛行機が、大関嶺(テグァンリョン)上空でスパイによって北朝鮮にハイジャックされた。ファンさんの父親で江陵MBC(当時永同MBC)プロデューサーのファン・ウォンさん(当時32才)も飛行機に乗っていた。

事件発生66日後に、乗客39人(スパイ1人を除く)は帰還したが、乗務員4人全員と乗客7人は、北朝鮮にとらわれた。その後、乗務員4人は全員北朝鮮で生きていることが確認されたが、ファン・ウォンさんら乗客7人の生死は確認されなかった。

帰還した乗客たちは、「北朝鮮で思想教育を受ける時、ファンさんが北朝鮮の教育員を理論的に論駁し、歌曲『行きたい』を歌って、教育員から威嚇されたりした」と証言した。

あれから40年。父親は帰ることができなかった。

幼少時代、ファンさんは、父親の拉致の事実すら知らなかった。

「米国に出張に行ったというが、父親の記憶はなく・・・。ただ、何かがあったんだと思っていた」

ファンさんは、小学校3年生になって、叔父から父親が北朝鮮に拉致された事実を聞いた。友人にこの事実を話し、スパイの息子だといじめられることもあった。

「あの頃は反共教育が徹底していたので、拉致されたと言っても、北朝鮮から来たと受け取られる時代でした」

その後、ファンさんは徹底して自分を隠さなければならなかった。



constant25@donga.com