「国民の皆様、どうもありがとうございます。皆様の応援がなかったら、今の僕もいなかったでしょうね」
15日行われた09ソウル国際マラソン兼第80回東亜(トンア)マラソン大会。決勝ラインを通過した「国民マラソンランナー」李鳳柱(イ・ボンジュ、39、三星電子)の顔は色々な感情が交差するようだった。喜びと絶望の瞬間が走馬灯のように駆け巡っているかのように、表情が時々刻々と変わっていった。笑顔を見せたり、暗い表情をしたりもした。
どれほど時間が過ぎただろうか。李鳳柱はいつの間にか元気を取り戻し、「ファンの愛」を語った。「国民の皆様の喝采があってこそ、今日まで走ることができた」とし、20年間走り続けた原動力をファンの応援のおかげだと言った。
李鳳柱は国民にマラソンランナー以上の存在だった。国民はいつもまじめで黙々と汗を流す彼に元気付けられた。倒れそうでも再び立ち上がり、世界のトップをノックする彼は「希望の伝道師」だった。李鳳柱が07年ソウル国際マラソンで、30メートルあまり遅れを取っていたが、ケニアの健脚らを抜いて2時間8分04秒で劇的な逆転優勝を成し遂げた時、ファンは「さすがに李鳳柱だ。我々にもできる」と歓呼した。
同日もファンの関心はもっぱら李鳳柱に注がれた。ケニアのモセス・アルセイが早くから首位をマークしたが、ソウル市民は「李鳳柱ファイト」を連呼した。
歳月の重みは争えないらしく、不惑を目の前にしている李鳳柱の同日のレースでは力が感じられなかった。李鳳柱は李ソンウン(造幤公社)と朴ジュヨン(韓国電力)ら後輩らと一緒に下位グループでレースを展開した。李鳳柱は2時間16分46秒で、国際大会14位であり国内大会8位に止まった。同日のレースは40回の完走の中で、後ろから6番目の記録だった。
李鳳柱は同日、レースのため、いつも通りに昨年12月から済州(ジェジュ)島と全羅南道長興郡(チョルラナムド・チャンフングン)で4ヵ月あまり汗を流したが、通常の調子には戻らなかった。同日のレースでは最初から2陣グループに後退し、完走に尽力した。
「最後なので、ファンに諦める姿を見せたくなかったです。ケニアの選手らと競争したい気持ちで一杯だったんですが、最初から私の体のコンディションに合わせて走りました。それでもきつかったです。しかし、すっきりした気持ちです。これからは気楽に未来を準備するつもりです」。
李鳳柱は引退後の人生を「また別の始まり」と話した。「まだ具体的に目標を決めたわけではない」と言ったが、「韓国のマラソンの発展に貢献したい」とし、後輩を養成する考えを示唆した。大韓陸上競技連盟は、李鳳柱の精神力を後輩らに伝承するため、彼を11年大邱(テグ)世界陸上選手権大会のマラソントレーナーに起用する計画を立てている。
1996年アトランタ五輪銀メダルと01年ボストンマラソンの制覇が一番記憶に残るという李鳳柱は、「率直に言って後輩のことが心配です。しかし、チ・ヨンジュンのようなしっかりした後輩がいるので、心配しないでください。勿論、後輩らがもっと頑張らなければなりませんが、韓国のマラソンは引き続き発展します」と話した。
20年間「美しいレース」を展開してきた李鳳柱。引退する瞬間まで彼は偏に韓国マラソンに対する心配だけだった。