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世界的なコーチと振り付けで、妖精から「クィーン」へ

世界的なコーチと振り付けで、妖精から「クィーン」へ

Posted March. 30, 2009 09:27,   

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表彰台の一番高いところに「フィギュア女王」金妍兒(キム・ヨンア、19=高麗大)が立った。米ロサンゼルスステイプルセンターには太極旗が揚がり、愛国歌が鳴り響いた。生まれつきの才能と絶え間ない努力でトップに立ったが、自分独りだけの力ではなかった。目に見えるように、または目に見えないところで女王を支えてくれた人々がいた。

●「妖精」と会って、「女王」に…

ブライアン・オーサーコーチ(48、カナダ)はいつも金妍兒のそばに居た。教え子の演技に満足した時には一緒の動作をして喜び、小さなミスでもあれば、手で顔を被って残念がった。

金妍兒はシニア舞台へのデビューを準備していた06年5月、カナダ・トロントのクリケットクラブスケート場へ転地トレーニングに行った。そして、そこの首席コーチだったオーサーと初めて出会い、その年の11月、「公式の教え子」になった。

オーサーは世界トップクラスの選手出身だ。カナダ選手権大会を8連覇し、1987年、世界選手権大会で優勝した。しかし、五輪の金メダルとは縁がなかった。1984年ヨーテボリ、1988年自国で行われたカルガリー冬季五輪で相次いで銀メダルに止まった。

金妍兒は、「似たような経験を持つオーサーコーチは、私がどれほど負担を感じているかをよく知っているため、落ち着いて練習できるようにしてくれる」と話す。

●「1人多役」陰で13年を暮らす

金妍兒が涙を流した時、母親の朴ミヒ氏(52)も泣いた。今は金妍兒のための専担コーチだけでなく、物理治療師、マネージャー、運転手まで居るが、娘が有名になる前まではこの全てのことを母親が一人でこなした。

金妍兒が6歳の時の1996年、家の近くの果川(グァチョン)市民会館に室内スケート場ができた。趣味で娘にフィギュアスケートを習わせた母親は、「これほど才能のある子は見たことがない」と言われたことを機に「フィギュア・ママ」に変身した。金妍兒は一時、相次ぐ負傷のため引退まで考えた。彼女がフィギュアを続けられたのは、娘を最高の選手に育てるという母親の意志があったからだった。

●「金妍兒専担チーム」、バンクーバーの金に向けて

金妍兒が世界的な振付師のデービッド・ウィルソンコーチに出会えたのも幸運だった。サーシャ・コーエン(米国)ら、フィギュアスターの振り付けを担当してきたウィルソンコーチは、06年、カナダ転地訓練の時から金妍兒を助けた。ウィルソンコーチは、「私のプログラムに自負心を持っているが、金妍兒はそれ以上をやっている」と話した。宿舎からリンクまで金妍兒の体の調子を几帳面にチェックしている物理治療師のソン・ジェヒョン氏とIBスポーツの金ウォンミンマネージャーも金妍兒の金メダルの隠れた助役だ。

金妍兒は上手な英語でのインタビューでも話題を集めた。金妍兒が英語の教師から教えてもらったのは昨年9月が最後。しかし、主にカナダで暮らしているため、英語力も自然に延びている。

金妍兒にとってカナダは第2の故郷のような所だ。そこで練習をし、コーチに出会った。今、彼女の目標は来年カナダで行われるバンクーバー冬季五輪金メダル。何だが間近に感じられる。



why@donga.com