ソウル東部地方裁判所の李愚宰(イ・ウジェ)部長判事(44)は、浴室でシャワーを見るたびに笑いが出る。3年前、李判事はシャワーを利用して自らの命を絶とうとして失敗した。生死の分かれ道となりかねなかったシャワーにまつわるおぞましい記憶が、今では思い出となっている。
当時、李判事は、重度のうつ病や不眠症を患っていた。株に投資した金を全てなくし、夫婦喧嘩も絶えなかった。毎日のように孤独な決定を下さなければならない仕事へのストレスまで加わり、いつの日からか、なかなか眠ることすらできなくなった。
ソウル大学法学部を卒業し、司法試験(第30回実施)に合格した上、司法研修院での成績が最上位圏だったため、ソウル中央地裁の判事として任用されるまではエリート・コースを歩んできた李判事だったため、いきなり見舞われた試練を受け入れることができなかった。「なぜ、私にこんなことが…」という思いだけが募り、暇さえあれば、どう死ねばいいかと悩む日々が続いた。
06年の祝日でもあった釈迦生誕記念日。李判事は夫婦喧嘩の末、極端な選択をした。浴室のシャワーホースを首に巻きつけた。息が詰まった瞬間、壁からホースが剥がれ落ちた。浴室の床に倒れた李氏は、涙を流した。
「ホースが剥れて水がザーザーと流れ落ちるのを見て、ふっと我に返った。どうすることもできない衝動に駆られて、首をつったものの、自分が死ななかったことが嬉しくもあり、また、自分の立場があまりにも哀れでもあって…」
しかし、それで全てが終わったのではなかった。うつ病がその後も執拗に李判事を苦しめた。数日後の06年6月のある日、李判事は睡眠剤50錠と1杯の水を用意した。遺書も残した。自殺の実行を控えて、しばらくベッドに横たわっていたが、眠ってしまった。
「夢の中で2年前に亡くなった母親が現れて、自分の死に装束を脱がしました。その時現れた母親は、ほかならぬ自分だったような気がします。表では死ぬ準備をしていたが、心の中ではそれだけ生きたかったのでしょうね」
目が覚めた翌日、李判事はもう一度生まれ変わろうという思いで病気休暇をもらい、忠鋻南道(チュンチョンナムド)鷄龍山(ケリョンサン)のある寺に入った。山の寺の中でも、うつ病はなかなか治らなかった。何のやる気もおきず、壁だけ見つめながら毎日を過ごした。睡眠剤を飲まなければ眠ることすらできなかった。3週間ぐらい経ったある日、妻が小学生の娘や幼稚園児の息子を連れて、寺に訪ねてきた。1日を一緒に過ごし、家族と別れようとした時、急に雨が降り出した。妻から先に入るように言われて、寺の中に入った。
「30分ぐらい経ったでしょうか。部屋に灯もつけず座っていて、ふと窓の外を眺めたが、妻と子供らが雨の中でそのまま立っているのが目に留まったんですね。その瞬間、何かがこみ上げてきては、涙がどっとあふれ出ましたね。
李判事は2時間も座ったまま号泣をした。周辺の人々への憤りや自分の立場に対する悔しさが、涙に混じって出た。泣き声を聞きつけて来た隣の部屋の和尚から、「自分を苦しめる人々の心の中に入ってみるように」といわれた。
「あれほど恨めしかった人々が一人ずつ、思い浮かんできた。許すことはできないが頭の中で会話を交わすことはできました。そのようにして少しずつ彼らを理解するようになり、胸の中に沈んでいた毒も溶けてしまいました」
それ以来、李判事の心の中には、「涙は人生を治す」という格言ができた。気を取り直した李氏は4ヶ月ぶりの06年10月、山寺から下り、07年2月、仕事に復帰した。
「自分の病気を悪化させたのは、ほかならぬ自分でした。『このような私に、あのような不幸なんてありえない』という自意識が自分の現状を謙虚に受け止めることを妨げました。自分の弱さや自分の傷口を認め、思いっきり泣けば、心に残っているしこりも一緒に流れてしまいますよ」
最近、芸能人らの自殺のニュースが相次ぎ、それを模倣した自殺も急増しているのを目にし、李判事はもどかしい心境を語った。
「死にたいほど辛いこともあるでしょうが、その時、人生のどん底まで落ちてみれば、後で振り返ってみた時、たいしたことではなかったと思えるかもしれません」
最近、李判事の話し方は早口で声が高い。携帯電話には「カラオケでの18番」のタイトルがぎっしり詰まっている。中年にもかかわらず、人気アイドルグループ、スーパージュニアの「Sorry、Sorry」が大好きだという愉快な人だった。その秘訣は簡単だった。
「問題を問題と思わなければ、それはこれ以上問題にはなりません。そう思いませんか」
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