欧州における検察制度は、1789年から5年間続いたフランス市民革命の産物だ。それ以前の欧州の裁判制度は、裁判所の判事が職権で審判する糾問主義だった。同制度の下、裁判所の横暴で、市民の人権が侵害されたという反省が起きた。革命後、市民の人権保護のため、弾劾主義による裁判制度が新たに登場した。裁判所ではない別の機関の訴追があってこそ、刑事裁判が可能になるように変えたのだ。訴追機関として誕生したのが検察だ。
◆このように検察は元来、人権擁護機関として出発した。初めから捜査を主眼とはしなかったのだ。フランスが、検察を初めて新設した以後、今のような裁判所—検察—被告人(弁護人)という3者刑事訴訟構造が広がり始めた。ドイツと日本を経て、韓国にも導入された。日本の検察の主な機能は今も、捜査よりも公訴権の行使である。一方、韓国の検察は、捜査が優先であり、起訴は副次的な雑務のようになっている。検察が権力機関として刻印されたのも、検察庁の公判部長が閑職とされるのも、そこに理由がある。
◆韓国の検察制度は、南北分断による理念対立および軍事独裁政権が、約30年間存続したという事実と深く関係がある。軍事政権は、正統性のため、法秩序確立の問題に対し、絶えず頭を抱えていた。検察は自ずと、司法中枢機関として、国家と体制維持の大きな軸を担うようになり、検察の人権保護機能は相対的に弱体化した。過去の独裁政権時代、対共産や大学、労使問題といった時局公安事件を担った公安検事らが優遇されている間、絶えず人権問題が提起された。
◆千成𨛗(チョン・ソングァン)検事総長内定者が記者懇談会で、「公共の安寧が保障されてこそ、人権も保障される」と述べ、自分の公安観を明らかにした。野党などが、公安検事の経歴を問題視したことに対する対応だ。そして、「公安部の検事だけではなく、検察に携わった人はすべて、公共の安寧に対し、基本的な使命を持っている」と述べた。民主化が成し遂げられた今は、公安と人権が対立した概念ではないという意味のようだ。一部の法秩序破壊行為から、多くの国民の人的被害と財産の損失を最大限阻止することが、公安の新たな使命であろう。
陸貞洙(ユク・ジョンス)論説委員 sooya@donga.com