80年の5・18民主化運動当時、金大中(キム・デジュン)元大統領を拘束し、死刑宣告を受けさせた全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が14日、金元大統領が入院しているソウル延世(ヨンセ)大学セブランス病院を訪れた。前職大統領の見舞いは、10日の金泳三(キム・ヨンサム)元大統領に続き2人目だ。
全元大統領は同日午前11時頃、金元大統領の病室がある20階で、エレベーターから降りるやいなや、「やれやれ、ご心労が多いことです」と言って、出迎えた李姫鎬(イ・ヒホ)夫人の手を握って、「状態が悪くなっているようで、休暇中ですがやってきました」と述べた。そして、「金元大統領の時が、前職(大統領)が最も幸せだった。金元大統領の在任の間、10回近く(大統領府に)招待され、世の中の状況を正確に把握でき、助けも多く受けた。現職が配慮してくれなければ、前職は立場がない」と述べた。さらに、「ある大統領はそうはしなかったが…」と言って、「李明博(イ・ミョンバク)大統領も前職の意見を聞いてほしい」と話した。
全元大統領は、慮武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の告別式前日、同病院で前立腺の手術を受けた事実を取り上げ、「年を取って時間はかかるが、医療陣が有能なので、間違いなく全快して気分よく退院できるだろう」と話した。15分間の面談で、李夫人は、何度も「お忙しいのにお越しくださって感謝します」と述べた。面談には、金元大統領の次男・金弘業(キム・ホンオプ)元議員や民主党の朴智元(パク・チウォン)議員、権魯甲(クォン・ノガプ)、韓光玉(ハン・クァンオク)、韓和甲(ハン・ファガプ)、金玉斗(キム・オクトゥ)元議員らが同席した。朴議員は、「過去の因縁については、一切言及がなかった」と伝えた。
79年の12・12クーデターで権力を掌握した全元大統領は、5・18民主化運動の背後に金元大統領がいるとにらんで、軍事裁判にかけた。金元大統領は、内乱陰謀の容疑で死刑が言い渡されると、最終陳述で、「韓国で民主主義が定着するには、政治報復は絶対にいけない」と述べた。米国政府の地道な交渉で、その後、金元大統領は無期懲役に減刑され、その「お礼」として訪米した。しかし、82年12月に米国に亡命した金元大統領が85年2月に帰国すると、全元大統領は、金元大統領に対して1ヵ月間の自宅軟禁の措置を下した。
その後、97年12月に大統領に当選した金元大統領は、死刑宣告の時の最終陳述を守ろうとするかのように、在任期間中、全元大統領を許そうと努めた。99年12月からは、「前職大統領との懇談会」を設け、大統領府によく招待した。入院前に出版を準備していた自叙伝で、金元大統領は、「死の直前の苦しみを与えた彼を信仰で許そうと努力した」と記した。
全元大統領と対話を交わした李夫人は、金元大統領が死刑を言い渡されると、全元大統領に単独の面談を求めて、救命に努めた。李夫人は昨年11月に出版された自敍伝『同行』で、「死刑にしようとした『首魁』の妻に、町の不動産屋の主人がおばさんに対するように、ズボンをあげて足をかきながら、気楽に話をする独特な方」と回想した。
全元大統領は病院を出て、訪問の意味を問う記者団に、「どんな言葉が聞きたいのか」と言って、低く独り言を言った。民主党の安熙正(アン・ヒジョン)最高委員、姜錦遠(カン・グムウォン)チャンシン繊維会長、李炳浣(イ・ビョンワン)元大統領秘書室ら親慮武鉉系の人々や、高橋礼一郎・在韓日本大使館総括公使も同日、見舞いに訪れた。
jin0619@donga.com jjj@donga.com