金大中(キム・デジュン)元大統領の国葬が23日、平和かつ秩序をもって執り行われた。故人は、85年間の栄辱の生涯を歴史に残し、国立ソウル顕忠園(ヒョンチュンウォン)で護国英霊とともに永眠した。6日間の国葬期間に、世界と国民は、金元大統領の死に深い哀悼の意を示した。民主化と人権、平和のために一生を捧げた人生の重みを確認させる葬儀だった。
故人の国葬が和合ムードの中で静かに行なわれたことは幸いだ。盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の国民葬の時は、検察捜査と自殺という衝撃的な要因を考慮しても、葛藤と憎悪の噴出を含む思わしくないことが多かった。大統領経験者の死を政治的に利用しようとする一部の試みもあった。今回は、そのような動きがまったくなかった。過去、金元大統領側と「旧怨」や競争関係にあった人々まで弔問に訪れ、喪主を自任する人までいた。終始、和合ムードで執り行われた。政府と遺族側の協力もスムーズだった。このような和解と和合の精神を生かしていくことが、国民の責務である。それが、故人を称える道でもある。
故人を送り、国民は今こそ「金大中時代」を越えなければならない。金大中時代は、民主化のための長い道程だったが、片方では、対立と分裂の政治、地域対立主義という否定的な遺産も残した。故人が、大統領在任中だけでなく、退任後にも現実政治でこのような退行的要素を清算する機会を持てなかったことは残念だ。
政治の改革では、国政に責任を負った大統領と政府与党の役割が大きい。最大野党の民主党も、議会民主主義を信奉した故人の「嫡子」であることを自負するなら、対話と妥協、多数決の原則に基づく議会民主主義に忠実な態度を見せなければならない。ただちに国会に復帰し、来月1日に開会する通常国会への出席を出発点にしてほしい。李明博(イ・ミョンバク)大統領が提案した選挙制度と行政区域の改編を含め、地域対立主義と葛藤の政治を克服するための構想いついても真剣に取り組む必要がある。「国利民福」の増進に向けて、早急に処理しなければならない国民生活の課題も山積している。
87年以降の22年の間、保守と進歩陣営の間に2度にわたって水平的政権交代が行われ、法と制度を通じた権威主義時代の悪弊の清算と手続的民主主義の整備という可視的な成果を成し遂げた。しかし、まだ「民主対反民主」という古い図式から脱け出せていない。メディアと国民が自由に政権を批判できず、公権力がデモ隊の顔色をうかがわなければならない状況下で、民主主義の危機を口にするのは論理に合わない。今は、むしろ法治が崩壊しているという点で、逆説的に民主主義の危機を心配しなければならない状況だ。
故人は、「最後の日記」で、「人生は美しく、歴史は前に向かって発展する」と書いた。国民は、今や民主化という闘争のくびきから脱し、法と常識が通用し、すべての国民が潤沢な暮らしを送ることができる先進化に向かって進まなければならない。それが歴史の発展であり、国民に与えられた時代的使命である。