1909年、ロシアのハルビン(哈爾濱)で伊藤博文を射殺した安重根(アン・ジュングン)義士の義挙に関連して、ロシアの韓国人に対する日本の裁判権行使が不当であることを、日帝の首脳部は以前から認識していたという主張が提起された。
安重根義士記念事業会のシン・ウンヨン研究員が日本の外交資料館で発掘した資料をもとに作成し、今年9月に「韓国史研究」に発表した論文によると、1907年、ロシア・ハルビンで朝鮮人キム・ジェドンらが日本人を殺害する事件が発生すると、日本外相の小村寿太郎は、ハルビン駐在の日本総領事に「朝鮮人たちの身柄を引き取れ」という訓令を出し、日本はロシアで彼らの身柄を引き取って、直接裁判し死刑を言い渡した。
この後、日本は、在外朝鮮人犯罪の裁判権行使問題について論議したが、後日、安義士に狙撃された伊藤博文が、1908年に林董外相宛てに送った公電で「在外韓人裁判事務について、韓国政府と協議すべきであるという当為性は認める」と明らかにしている。
これは、ロシアの朝鮮人による事件を日本が直接裁判するのは不当であると、伊藤博文が認識していたことを示す証拠だ。
シン研究員は「当時の国際法によると、事件が起きたロシアで裁判を主管するべきだったし、身柄を日本に渡すためには、韓国との協議を経なければならなかったが、史料で見るように、日本はその不当性を知っていながらも、便宜上の理由で在外朝鮮人に対する裁判権を不法に行使した」と説明した。
日本当局は、安義士が伊藤博文を狙撃した事件が発生すると、キム・ジェドン事件などを前例を取り上げ、安義士の裁判権をロシアから引き取り、死刑を言い渡した。
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