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米大リーグを号令する「オリエンタル超特急」たち

米大リーグを号令する「オリエンタル超特急」たち

Posted November. 10, 2009 10:01,   

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5日、閉幕したワールドシリーズで最優秀選手(MVP)に選ばれた松井秀喜(ニューヨーク・ヤンキーズ)。彼は第6戦で、6打点をマークし、優勝のピリオドを打った。日本プロ野球の最高打者として君臨していた彼が、ヤンキーズ入団7シーズン目に東洋人初のワールドシリーズMVPに輝く偉業を達成すると、日本列島は熱狂した。「アジアの自負心」という表現まで出た。

現在、大リーグで活躍中のアジア選手は22人(韓国3人、日本16人、台湾3人)だ。米国と中南米諸国に比べると、数的にはまだまだ少ない。しかし、年を重ねるにつれ、アジア選手の活躍はさらに増えており、意味深い記録が相次いでいる。

アジア人初のワールドシリーズMVPの栄光に輝いたのは松井だが、優勝の指輪を初めてはめた最初のアジア人は伊良部秀輝(日本)だ。伊良部は1999年、ニューヨーク・ヤンキーズ所属で、ワールドシリーズのリストに名前を載せ、優勝の祝杯を持った。しかし、彼はワールドシリーズで登坂することはなかった。ワールドシリーズの舞台を踏んでチャンピオンになった初のアジア選手は金炳賢(キム・ビョンヒョン)だ。アリゾナの締めくくりだった彼は、01年、ヤンキーズとのワールドシリーズ第4戦で、サヨナラ本塁打を奪われるなど、紆余曲折の末、優勝の指輪を手に入れた。

「アジア初」というタイトルを一番多く持っている選手は、日本の鈴木イチロー(シアトル)だ。彼は01年、入団初年度にアメリカン・リーグ打撃王(3割5分)、盗塁王(56個)、レギュラーシーズンMVPを総なめした。新人王も彼だったが、アジア初の新人王は野茂秀雄が、1995年LAドジャーズ時代に獲得した。イチローは、07年、オールスター戦のMVPにも選ばれ、再度、先駆者の役割を果たした。

韓国選手の中では秋信守(チュ・シンス、クリーブランド)が今年、アジア選手としては初めて20—20(20本塁打・20盗塁)を達成した。崔熙涉(チェ・ヒソプ)がドジャーズ時代の05年6月12日、ミネソタ戦で放った1試合3本塁打もアジア初記録だ。

新人王となり、日本人選手の大リーグ進出への道を切り開いた野茂は、昨年、引退するまで123勝を収め、アジア人としては最多勝を記録した。朴賛浩(パク・チャンホ)は通算120勝で、記録更新に挑戦中だ。朴賛浩は00年、18勝をマークし、東洋人シーズン最多勝の記録を立てたが、06年、19勝を記録した王建民(台湾)によって破られた。

朴賛浩と野茂が、大リーグの舞台に東洋人の気運を広げる相当前の1964年、日本の村上雅則はサンフランシスコに入団し、東洋人として初めて大リーグの舞台を踏んだ。

彼は2年間プレーし、5勝を収めた。平凡な記録だった。それ以後、東洋人が2番目の東洋人大リーガーの朴賛浩(1994年入団)を見るまで、30年がかかった。



hanwshin@donga.com