「スーパー・ピーナッツ」こと金美賢(キム・ミヒョン、32=KT)の父親、金ジョンギルさん(62)はマイクを取ると、決まって歌う歌がある。歌手の朴ガンソンの「明日を待つ」だ。
話は金美賢が米女子プロゴルフ(LPGA)ツアーで活躍していた初期の1990年代後半にさかのぼる。金さんが大会の度に娘を中古のバーンに乗せて運転していた頃だった。「一度エンジンをかけると、5時間以上ハンドルを握るのは当たり前でした。オーランドからコーニングまでの2000キロを2時間しか眠らず、26時間かけて車を走らせたこともあります。いつも車の中で聞きながら口ずさんだ歌です」。
金さんは手塩をかけて娘の世話をする韓国のゴルフ・ダディーの元祖と呼ばれる。そのような金さんが8日、仁川南洞区古棧洞(インチョン・ナムドング・コジャンドン)に「金美賢ゴルフワールド」という大型ゴルフ練習場をオープンした。自分のコジャン洞に‘キム・ミヒョンゴルフワールド’という大型ゴルフ練習場を開場した。自分の愛唱曲のように、また別の明日を待つ過程である。金美賢がさらに2〜3年現役生活をしてから引退すると、故郷の仁川で有望株育て上げる場所として用意したものだ。
70億ウォンをかけて地上3階、地下1階の規模で、220ヤードの直線距離に114打席を設けた。鉄塔の高さだけでも54メートル以上ある。来春は、パット、バンカー練習場をさらにオープンする計画だ。近くの遊休地を活用したショートゲームゴルフ場も構想している。金さんは、「娘が運動をやめた後は、後輩を育てたいという夢を持っている。指導者として成功できるように工夫を凝らした」と誇らしげに言った。
練習場の完工までは許認可を含めてちょうど4年がかかったと言う金さんは、「複雑な手続きが多くて気苦労が絶えなかった。身体は疲れていたが、米国で娘の世話をしていた時がはるかに幸せだった」と話した。
金さんは1960年代後半、一般下士官として入隊し、18ヵ月間、ベトナム戦に参戦した。その後、仁川松島(ソンド)の海岸警戒所で分隊長として服務していた1971年に起きた「実尾島(シルミド)事件」では、鎮圧軍の一員として銃撃戦に加わった経験もある。その後、釜山で靴ビジネスをしていた1988年、小学生だった金美賢に初めてゴルフをやらせた。一時はシングル・ハンディ69を打つほどの腕前だったが、娘の世話に専念するため、10年以上ゴルフをやっていない。
金美賢は朴セリ(32)、韓煕円(ハン・ヒウォン、31)らと一緒に、LPGAツアー進出第1世代に分類される。155センチの短身に厳しい環境を乗り切って、多くの感動を与えてくれた。普段、善行にも関心が高く、毎年1億ウォン近い寄付金を支払っている。07年、米国がトルネードによって大きな被害を被った際は、10万ドルの寄付金を支払ったこともある。背が163センチの金さんは、「私の背が低くて、娘にいつもすまなく思っていた。それでも、娘の心は誰よりも広い」と褒めた。
金さんはゴルフ選手の子どもを持つ親にもアドバイスを欠かさなかった。「幼い時に、運動ばかりに全てをかけると、簡単に諦めてしまう恐れがあります。多様な教養と経験を積まなければなりません。子どもの才能を正確にキャッチするのが大事です」。
先月、米オーランドで柔道スター出身の夫・李元熹(イ・ウォンヒ、29)との間で息子を産んだ金美賢は産後休暇を終えて、今月末帰国し、自分の名前がかかっている練習場を初めて見ることになる。「永遠なゴルフダディー」の金さんは、母親になった娘との再会を首を長くして待っている。
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