03年、全羅北道扶安(チョルラブクド・ブアン)で中低レベルの放射性廃棄物処理場(放廃場)を扶安邑の前にある島、蝟島(ウィド)に建設しようとする計画に反対する激しいデモが行われた。全国から環境団体が扶安に集結して、扶安聖堂(主任神父=文奎鉉)は彼らのアジトになった。環境団体は、女子高生らに「結婚したら、奇形児を生むことになる」という偽りの扇動も辞さなかった。地域発展のために放廃場建設に賛成したキム・ジョンギュ郡長は、古いお寺の来蘇寺(ネソサ)で反対側の勢力に囲まれてリンチに遭った。
◆あれから6年が経ち、昨年末、韓国はアラブ首長国連邦(UAE)で原子力発電所を受注した。みんな喜びを隠せなかった。世界6位の原発大国であり、世界最高の原電運営技術がもたらした勝利だった。李明博(イ・ミョンバク)大統領の指示でUAEと輸出契約を結んだ12月27日を「原子力の日」に決め、世界最大の原発市場となる中国にも10基以上を輸出するという目標を立てた。政府はUAE輸出を実現させた功労者に勲章・報奨を授与し、大韓民国の原子力ビジョンを宣布する予定だ。
◆扶安が拒否した放廃場は、慶州(キョンジュ)、群山(クンサン)、盈鄹(ヨンドク)、浦項(ポハン)が票対決を行って一番高い賛成率を記録した慶州が誘致した。群山はセマングムを間に扶安と分かれている。扶安では激しい反対騒ぎが起きたその放廃場に対し、群山市民は投票者の実に84.4%が賛成した。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府が成し遂げた最大の功績の中の一つは、地域競争の構図を採択して19年間漂流してきた放廃場問題を一挙に解決したことだ。
◆扶安事態が起こったその年、映画「殺人の追憶」を、当時としては最大の約510万人が鑑賞した。華城(ファソン)連続殺人事件をモチーフにしたソン・ガンホ主演、ポン・ジュンホ監督の作品だ。「殺人の追憶」はまだまだ観客の記憶に残っているが、「扶安の追憶」は薄れていく。その年、住民を扇動して扶安を混乱の中に陥れた反核団体や環境団体は、UAEでの勝利については沈黙している。原発が生きて動く原子力だとしたら、放廃場は原発で使われた手袋や靴、服などを処理するお墓だ。産油国のUAEは石油を使う火力発電所を建てず、韓国で作った原発を建てることで契約した。崔烈(チェ・ヨル)氏をはじめ環境団体の関係者らや、文奎鉉神父など宗教関係者らは扶安についてどんな思い出を持っているか気になる。
李政勲(イ・ジョンフン)論説委員 hoon@donga.com