政府が、自立型私立高(自私校)を3月末までに自律型私立高(自律高)か、一般高に転換させるという方針を発表した。昨年までも「希望する場合、自律高への転換が可能だ」とし、自私高の存続方針を表明していた政府が、言葉を変え、自私高を廃止することにしたのだ。自私高の全州・象山(サンサン)高を運営する洪成大(ホン・ソンデ)理事長は、東亜(トンア)日報のインタビューで、「うまくやっている学校を後押しするどころか、無くそうとするのは、理解し難い」とし、「今すぐ学校をやめてしまいたいという気さえする」と話した。一年に数十億ウォンずつ私財を投入し、あらゆる努力を払って、象山高を全国の中学生に好まれる名門高校に育て上げた洪理事長の虚脱感は大きいだろう。
02年から、高校教育の多様化や特性化方策の一環としてモデル的に運営され始めた自私高は、昨年末、韓国教育課程評価院の修学能力試験の成績と学業成就度評価分析結果で、一般高の上位20〜30%に当る水準の人材を教育していることが分かった。05年、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権による評価でも、授業の質の改善、高校選択機会の拡大、秀越性教育の向上などで高得点を獲得した。学校の設立者が責任感を持って、財政を支援し、学校運営の過程と結果が公開されているという評価も注目に値する。
自私高の成果と生徒の支持度が高くなるほど、教育平等主義者らの槍玉になった。民主党の崔宰誠(チェ・ジェソン)議員は、「外国語高校が魔女だとしたら、自私高は魔王だ」と責め立てた。政府が自私高を無くすのはポピュリズム的な発想だ。自私高は、政府予算の支援を受けずに父兄らが自費で教育させている。ここから余裕ができた政府予算で、公立校の教育環境を改善し、奨学金を増やせば、富を自然に分配する効果が生じ「ウィンーウィン」が図れる。しかも、教育の「多様性」を図るとしてきた李明博(イ・ミョンバク)政権が、8年間のモデル運営を通じて高い評価を受けている自私高を無くし、ただ1日も運営したことのない自律高の法制化に走ろうとするのは腑に落ちない。
李大統領は07年末の大統領候補合同討論会で、「自私高が全国に6校あるが、そこに入学しようとして、家庭教師を雇う。需要が多いのに、供給を減らす理由があるのか。全国に自立型私立高を100校ぐらい作り、農村や漁村の生徒にも教育機会を与える」と話した。最近、この政府の教育政策を担当する人々は、私教育を減らすことができたら、教育の本質を損ねてもよいと認識しているようだ。前政権も、どうしても無くすことができなかった自私高と外国語高を今の政府が無くすのは、中道実用ではなく、左派的平等主義である。国の競争力を低下させる「平等教育」の害が本格化している。