「解放軍」を自任し韓半島北側に進駐したソ連軍が、45年8月から5ヵ月間、北朝鮮での振る舞いが書かれた文書が発見された。45年12月29日、ソ連軍のペドロフ中佐が、ソ連軍進駐後、北朝鮮の黄海道(ファンヘド)と平安南道(ピョンアンナムド)、平安北道(ピョンアンプクト)の3道を訪問調査し、作成した13ページの同報告書は、当時行われた略奪状況をありのままに伝えている。当時、同報告書は、沿海州軍管区政治担当副司令官のカラシニコフ中将に報告され、彼は同報告書を翌年1月11日に、沿海州軍管区軍事会議委員のスティコフ上将に伝えた。ロシア語で書かれた同文書は、米国の外交安保専門シンクタンクのウッドロー・ウィルソン・センターが、旧ソ連国立文書保管所で発見し、英語に翻訳された。
●ソ連軍人が書いた朝鮮人略奪報告書
「我が軍(ソ連軍)の非道徳的な振る舞いは、ぞっとするほどだ。下士官、将校を問わず、毎日あちこちで略奪や暴力を日常的に行ったのは、非行に対し、特に処罰がないためだ」
ペドロフ中佐は当時、「赤い軍隊」の蛮行をこのように記述した。ペドロフ中佐は、「我らの部隊が配置された市や郡は、夜に銃声が絶えることがなかった。特に、非道徳的な行動の根源といえる酒に酔い、乱暴をはたらき、婦女を強姦する犯罪も蔓延した」と指摘した。
報告書は、「真っ昼間に通りで酒に酔った軍人をよく目にし、新義州(シンウィジュ)内の70以上ある旅館や公共の建物は、毎晩宴会が繰り広げられた」と記録した。具体的な事例も指摘された。45年12月6日、マクシモフ工兵将校は、部下の兵士7人とある旅館に宿泊し、女性を呼び、夜通し酒宴を行い、翌日金を一銭も払わなかったという。さらに呆れたことは、マクシモフ将校一行が、5日後の11日、再びこの旅館に立ち寄り、宿泊費だと言い、金を払ったが、当時北朝鮮で全く通用しない紙切れ同然の満州の金だったという。
また、ある朝鮮人が、酒に酔ったソ連軍中尉を引き連れた事件の記録もある。この朝鮮人は、「私の妻が、ソ連軍に強姦され、許すことができない」と言ったという。問題は、このような蛮行に対する処罰がほとんどなかったという点だ。ソ連軍のスクトスキー中佐が、師団の憲兵隊に一罰百戒で、規律を正す必要があると数回意見したが黙殺されたと、報告書は伝えている。
●「解放者」を自任した非行
45年8月26日、平壌(ピョンヤン)飛行場に到着したソ連極東軍沿海州軍管区25軍のチスチャコフ司令官は、「朝鮮人民よ。記憶せよ。幸福は皆さんの手の中にある。皆さんは、自由と独立を手に入れた。今は、すべてが皆さんにかかっている」と語った。そして、自分らを「解放軍」と規定した。
しかし、報告書によると、チスチャコフ司令官は、北朝鮮でソ連軍が行った略奪で、蜂起が起きた場合、「朝鮮人の半数を絞首刑に処す」と言ったという。さらに、部下とともに45年11月16日、海州(ヘジュ)市内で、22時間も長いパーティーを行った際、火災が発生し、家と家財が燃えると、これを「不純な勢力」の放火に装い、30万円を得た事実もある。このほかに、258小銃師団長のトミトリエフ大佐は、私的な席で、「朝鮮の人々は35年間奴隷だった。もう少し奴隷であってもかまわない」という言葉を残したと、報告書は記録している。
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