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[社説]国を守って倒れた彼らを忘れない

[社説]国を守って倒れた彼らを忘れない

Posted April. 16, 2010 08:28,   

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「息子よ。息子よ。冷たい海の中でどれほど孤独だったか…」。ソ・テホ、パン・イルミン、李サンジュン、李サンミン、アン・ドンヨプ、朴ソンギュン、イム・ジェヨプ…。15日に引き揚げられた海軍哨戒艦「天安(チョンアン)」の艦尾の食堂、寝室、弾薬庫から遺体が順に確認され、白翎島(ペクリョンド)海上と平澤(ピョンテク)第2艦隊司令部では、遺族の嗚咽が漏れた。

天安艦の沈没から20日経って、「行方不明者」だった海軍兵士たちが冷たい遺体となって戻ってきた。初期にナム・ギフン、金テソク上士が、艦尾部分で遺体で発見され、生存者がいることは難しいと考えられたが、実際に、艦尾が引き揚げられ、行方不明者が遺体で確認された瞬間、遺族は再び悲しみに耐えなければならなかった。祖国の海を守って、たった一つの生命を捧げた兵士たちを永遠に送らなければならない国民の心も、つらく重い。国を守って倒れた彼らを送り、冥福を祈る。

亡くなった兵士たちは、天安艦が真っ二つに割れた時に、艦尾で勤務または休息中に、艦首の同僚将兵と生死を分けることとなった。艦首の生存者58人は、船体が90度空に向いて、逆さになった状況で、涙ぐましい同僚愛と軍人精神を発揮して、劇的に救助された。一瞬のうちに沈没した艦尾の将兵らは、生存兵士よりも必死に奮闘したが、力不足だった。一部の将兵は、しばらく隔室で救助を待ち、最期を迎えたかもしれない。彼らの最後の瞬間を想像するだけで、胸が引き裂かれる思いだ。愛する息子や夫、兄弟、親戚、友人を失った方々に深い哀悼を送る。

今や国民は、犠牲になった水兵の同僚愛と軍人精神を賛え、名誉を高めることに立ち上がらなければならない。最後まで奇跡の生還を待ち、傷心した遺族に力を与えることも、政府と軍、国民の役割だ。政府と軍は、殉国将兵に対する最高の国家的待遇を当然準備しなければならない。02年の第2次延坪(ヨンピョン)海戦の時に戦死した将兵6人と遺族を、当時の金大中(キム・デジュン)政府が冷遇した前轍を反面教師とすべきだろう。

故ハン・サングク中士の妻は05年、「このような国で、どの兵士が戦場に行って戦うことができるだろうか」と嘆いて米国に移民し、現政権の発足後に帰国した。故朴ドンヒョク兵長の母親は、手記で、「大田(テジョン)(顕忠園)にお前を埋葬し、打ちつける雨のしずくを見て、私はなぜこんなに悲しくみすぼらしいのか、悲しくなる。在韓米軍司令官が慰めの手紙を送ってきた。政府と機関は、電話どころか手紙の一通もない。私の息子は、どこの国、誰のために命を捧げたのか」と言って泣いた。

国と国民のために大切な命を捧げた将兵を決して忘れてはならない。米国は今でも、韓国戦争の米軍捕虜の帰還と戦死者の遺体捜索に最善を尽くしている。国家が、殉国将兵を忘れないのを見て、入隊する若者や現役将兵は、愛国心と忠誠心、責任意識を育む。軍将兵も、まさに国民の息子であり、夫であり、兄弟だ。彼らを信頼し、士気と自尊心を守ることも、国家と残された国民の責任であり、国防をより一層堅固にする道だ。

天安艦の事態があらわにした北朝鮮に対する軍事態勢の弱点を点検して補完し、類似の国家的危機状況が再発しないようにすることも課題だ。これこそが、殉国将兵の犠牲を無駄にしないことになるだろう。