無駄な期待ではなかった。全度姸(チョン・ドヨン)は、映画の中で裸体を大胆にさらけだしている。彼女だけが服を脱いでいるわけではない。主人のフン役を演じる李政宰(イ・ジョンジェ)も絞られた裸体を披露している。
ところが、これがすべてではない。10年、フランスのカンヌ国際映画祭がここ1年間、世界で製作された数え切れないほどの多くの映画のうち、林相洙(イム・サンス)監督の「下女」を公式競争部門でノミネート19作に選んだのは、単に「惜しみなく、卑猥を披露する」ためだけではないはずだ。
俳優らは、映画が始まってから20分もしないうちに、服を脱ぎまくる。次第に露出を強め、観客を焦らせるような安っぽいアダルト映画とはスタートから違う。「早く彼らのセックスシーン」と待ち焦がれる観客の期待も、あまり待たされずに叶えられる。上映時間は106分。残りの90分間に何を見せてくれるだろうか。ここから50年ぶりにリメークしたこの風変わりな映画は、冷静で執拗に登場人物の心理を描写する。
同映画の原作は、韓国映画界の怪人とされる故金綺泳(キム・ギヨン)監督が、1960年に製作した同名作品。1960年11月9日付の東亜(トンア)日報は、金監督の「下女」について、「K市で起きた家政婦の幼児殺害事件の実話を基にしたストーリー。フィクションにしても無理があり、心理や性格描写が荒いため、リアリティを追求するなら、物足りなさを感じるが、ストーリー展開にこだわらず、人間の心理にフォーカスを当てた実験精神が認められる」と評価している。
原作「下女」は、妻子もちの中間層の男性(金振奎)が、若い家政婦(李ウンシム)の誘惑に乗り、肉体関係を持った後、起きる悲劇を描いた。嫉妬に燃え、子供を殺害したり、農薬を飲んで心中をするなど、極端な内容が含まれている。しかし、結末は「啓蒙映画」だった。農薬を飲んで悲惨な最期を迎えたすべてのことが「夢」だったというあっけない結末を見せた後、主人公は観客に向かって「浮気しないように」と真剣に言い聞かせた。
50年後、主人公らは原作の主人公より、ずっと上品で礼儀正しい。そのまじめな態度から、彼らが見せているのは、50年前よりしっかりと根を下ろしている階級社会の対立だ。針の穴ほどの隙もない緻密な空間で、筋の通らない非理性的な会話を平然と交わしている人々。
「お義母さん、あなたの娘が産んでこそ、私の子供になるのですか」(フン)
「私も裸になって待っていたんだから…」(ウ二)
原作とは比べ物にならないほど露出が多いが、それは映画の見所ではない。林相洙監督は、50年前より索漠とした世の中をさらに辛らつに風刺している。この映画の主要台詞は、古参の家政婦であるピョンシク(尹汝貞)が、ウ二に話す「冗談じゃないわ!本当に世の中、むかつく!」という言葉だ。
50年前の原作「下女」を取り上げた東亜日報の記事の見出しは、「未遂に終わったが注目すべき実験」だった。半世紀後、変わり者の後輩は、きちんと整理されたスクリーンの上で未遂に終わった「怪作」を緻密に完成した。
sohn@donga.com