先月26日、南アフリカ共和国ポートエリザベスのネルソン・マンデラ・スタジアム。サッカーの韓国代表チームは16強戦でウルグアイと対戦し、1対2と惜敗した。しかし、同日背番号4番をつけた太極戦士のプレーは、まるで現役時代「アジアのリベロ」と呼ばれた洪明甫(ホン・ミョンボ)五輪代表チーム監督を見ているように印象的だった。試合が終わった後、共同取材エリアで会ったウルグアイの攻撃手ディエゴ・フォルラン(アトレンティコ・マドリード)は、「特に4番のプレーが目立った」と舌を巻いた。
世界的な攻撃手フォルランが注目した4番は、「第2の洪明甫」と呼ばれる趙容亨(チョ・ヨンヒョン、27=済州)だ。W杯が終わった後、しばらく休息している彼と、2日、京畿道高陽市(キョンギド・コヤンシ)にある彼のエージェント事務室で会った。
●スペシャルナンバー「4」
趙容亨にとって数字「4」は特別な意味だ。彼は、「元々好きな数字だったが、プロに入って以来、ずっと4番を付けてプレーしているので、さらに愛着がわく」と言って笑った。サッカーを始めたのも小学校4年生の時。陸上部だった彼に目を留めた当時のサッカー部監督の薦めで運動靴を履き替えた。
サッカー選手として彼の人生に最も大きな影響を与えた人も4人だ。まず、富平(ブピョン)東中学校時代、彼を指導したシン・ホチョル監督。趙容亨は、「監督は当時、厳しいと言われるほど基本技を強調した。今の私の長所は全て、あの時身に付けたこと」と話した。初プロチームの富川(ブチョン)SKの司令塔だった鄭海成(チョン・ヘソン)現代表チーム首席コーチと富平高時代、同じ釜の飯を食った李天秀(イ・チョンス=大宮)、代表チームで精神的な大黒柱の役割をした李栄杓(イ・ヨンピョ=アルヒラル)も彼が挙げた人々だ。
●恐怖の数字「10」
守備手にとって「10」は恐怖の数字だ。通常、チーム内の攻撃の核が10番を付ける。W杯を経験しながら彼にも10番は忘れられない数字になった。
まず、太極戦士に敗北の苦い味を味わわせたアルゼンチンの10番、リオネル・メッシ(バルセロナ)。趙容亨は、「ドリブルが良く、質量中心も低くて速いということを知っていながらも、まんまとやられた。メッシばかりに気を使いすぎて、他方の選手を逃したのも惜しい」と話した。また、「守備手は普段、攻撃手の最初のボールタッチを見て、レベルを見計らうが、メッシのボールタッチは人間の境地を越えた」と舌を巻いた。ウルグアイの10番フォルランも忘れられない相手。趙容亨は、「試合当日、コンディションがあまり良くないように見えたが、結局アシストを記録して自分を役割を全うし、チームの勝利を牽引した」と親指を持ち上げた。
●懐かしい数字「23」
23人の太極戦士らはW杯を通じて家族のような特別な関係になった。趙容亨も同じ。彼は、「最高の先輩・後輩らとW杯という舞台を一緒に踏んだという事実自体が栄光」と言って笑った。大変だった瞬間もあった。最善を尽くしたにもかかわらず、呉範錫(オ・ボムソク=蔚山)、車ドゥリ(セルティック)らが、一部ネチズンの「悪性レス」に悩まされた時は自分のことのように苦しんだという。アルゼンチン戦のミスキック一度で非難を浴びた「仲良しの友だち」廉基勳(ヨム・ギフン)には、「あの時、ゴールを入れていたら、ものすごいインターネットレスの代わりに、英雄になったはず」と冗談を言ったが、心が痛かった。彼は、「私もしばらく前まで『自動ドア』と言われるなど、批判に苦しんだ」と話した。
●そして「45」
代表チームのキャプテン、朴智星(パク・ジソン)は最近、彼の自叙伝で「私は今、サッカー人生で後半20分を走っている」と言った。趙容亨はどうだろうか。しばらく考えてから、「前半45分が終わり、ちょうど後半が始まる時期」と答えた。「私は一歩遅れて日の目を見ました。前半30分が過ぎてから、やっと私のプレーができるようになったんです。後半にはもっと大きい舞台で引き続き発展する姿を見せたいと思っています」
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