久しぶりのサッカー解説への感想を聞いたら、車(チャ)ドゥリは、「父親が話しすぎて、私が入り込む隙がなかった」と言いながら、笑った。さらに、「解説が楽しい。選手であるため、負担は少ない。特に、父親と一緒に観ながら、解説して楽しかった」と付け加えた。
ドイツで選手生活を過ごした車ドゥリは、ドイツ代表チームの選手らと顔なじみ。今回のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会に出場したルーカス・ポドルスキー(ケルン)、ミロスラフ・クローゼ、フィリップ・ラーム(以上バイエルン・ミュンヘン)とは連絡を取り合うほどの仲。
車ドゥリは、「ドイツの若い選手らと一緒に運動をした。大会前からメスト・エジル、トーマス・ミュラー、ジェローム・ボアテングら、若い選手らがシーズンで見せたくらいのプレーをしたら、良い成果がありそうだと思った。今大会で彼らは、一言で『クール』にプレーをしている」と評価した。
車ドゥリはウルグアイとの決勝トーナメント1回戦が終わった後、大泣きした。涙が止まらない様子を全国民が見届けた。「今回のW杯は、自分にとって最後かも知れない。それで大会を楽しもうと思った。そのような大会が終わったと思うと寂しくてならなかった」と話した。もう一つの理由は、肩の荷を降ろしたという気持ちだった。
車ドゥリは、「W杯を準備する際、プレッシャーが大きかった。リュックに心の荷をしまい、南アフリカへ向かった。あまりにも重く感じられた荷を降ろしたら、とたんに気が緩んでしまった」と打ち明けた。
まだW杯の余韻がそのまま残っている。車ドゥリは、「解説のために競技場に入ったら、観客の歓声、ブブゼラの音、バスで到着する選手らの姿など全てに親近感を感じた。ウルグアイ戦だけうまくやっていたら、自分がそこにいることもあり得たのにと思った」と話した。
W杯が終わった後、帰国せず、さっそく英国へ向かい、スコットランドのセルティックと入団契約を結んだ。前の2シーズン連続して準優勝を果たしたセルティックは、奇成庸(キ・ソンヨン)が所属するチーム。
彼は「優勝したくてセルティックを選んだ。元々父親と一緒に優勝したくて、Kリーグ水原三星(スウォン・サムスン)に入ろうと思ったが、父親が監督を辞めたので、考えを変えた」と話した。同じチームでプレーすることになった後輩の奇成庸については、格別な愛情を見せた。車ドゥリは、「奇成庸は現在適応期にいるだけだ。監督と話してみたが、『W杯の時にやったとおりにやれば問題ない』と言って奇成庸への期待を示した」と話した。
今回のW杯について話しながら、何度も「最後」という言葉を強調した。しかし、本音は違っていた。「選手なら誰でもプレーできる能力さえあればプレーしたいと思うはず。もし14年ブラジル大会の時、代表チームで自分を必要とすれば、応じたい」と話した。
いつの間にか30代。第2の人生を考えざるを得ない。彼には目標が一つある。他ならぬリハビリ治療師。「もっと勉強もしたいし、リハビリにも関心が高い。実力のある若い選手らが負傷した時、適時にリハビリが受けられず、辞めてしまうケースをたくさん目にした。彼らに少しでも助けになりたくて、リハビリを勉強してみたい」と話した。
この日、南アフリカを出発して5日に帰国した車ドゥリは、「早く家に帰って妻と娘に会いたい」と話し、目頭を赤くした。
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