李明博(イ・ミョンバク)政権は、首脳会談開催を話し合うための昨年10月のシンガポール秘密会合の前から、「任太熙(イム・テヒ)秘密ライン」を通じて北朝鮮と緊密な接触を行い、故金大中(キム・デジュン)元大統領弔問団の派遣など、北朝鮮側から一連の対南宥和策を引き出していたことが確認された。
しかし、昨年11月に開城(ケソン)工業団地で開かれた秘密接触で、コメと肥料の優先支援の合意を求める北朝鮮側と、首脳会談は支援とは別問題だとする韓国側の立場が拮抗し、当局レベルの首脳会談開催の話し合いは決裂したという。
北朝鮮事情に詳しい消息筋らは2日、「昨年8月、北朝鮮が金基南(キム・ギナム)労働党書記と金養建(キム・ヤンゴン)統一戦線部長を故金大中元大統領の弔問団としてソウルに送ったのは、当時、ハンナラ党の任太熙議員(現大統領室長)の水面下での役割が大きかった」と伝えた。任議員は2ヵ月後の10月、労働部長官として、南北首脳会談の開催を話し合うシンガポール秘密会談に参加した。
また、同消息筋らは、弔問団派遣後に北朝鮮が打ち出した対南宥和政策も、任議員が率いた秘密ラインが事前に北朝鮮側と調整した成果だったと伝えた。北朝鮮は、東海(トンへ・日本海)岸で越境した800ヨンアン号と船員を釈放(8月29日)し、開城工団の地価引き上げ要求を撤回(9月10日)したほか、秋夕(チュソク・陰暦8月15日の節句)の離散家族再会行事(9月26〜10月1日)に合意した。北朝鮮は、10月14日の黄江(ファンガン)ダム放流で、韓国側民間人6人が死亡した件に対しても謝罪した。
任議員は、北朝鮮との10月のシンガポール会談で、年内の首脳会談開催や北朝鮮に対する経済支援、首脳会談後、李明博大統領の帰国時に国軍捕虜または拉致被害者1人を同行させるといった概略的な内容を盛り込んだ了解覚書(MOU)に署名したという。
しかし、シンガポール秘密会合と任議員の水面下の活動がメディアに知られ、李大統領は、統一部と国家情報院が主軸の政府公式ラインの交渉団を11月7日と14日に開城工団に派遣し、北朝鮮側と新たな秘密接触を行うことになった。
開城会談で、北朝鮮は、平壌(ピョンヤン)首脳会談の開催とコメ・肥料の優先支援を求めたという。これに対して政府は、「金正日(キム・ジョンイル)総書記が00年の6・15共同宣言でした約束どおりソウル答礼訪問をしなければならず、対北朝鮮支援は首脳会談と関係なく、北朝鮮が非核化と開放の意志を見せてこそ可能だ」と主張したという。また、送還または故郷訪問させる国軍捕虜と拉致被害者の数を10人以上に増やした。
これに対して北朝鮮は、「首脳会談前に支援できないなら、裏面合意書を書くか、合意文に韓国が6・15および10・4宣言を実施すると書いてほしい」と主張した。しかし、政府が受け入れを拒否したため会談は最終的に決裂したと、消息筋が伝えた。
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