北朝鮮の朝鮮中央通信は27日、「延坪(ヨンピョン)島砲撃で、民間人死傷者が発生したことが事実なら、極めて遺憾なことだ」と論評を出した。民間の居住地域まで砲撃しておきながら、「民間人死傷者が発生したことが事実なら」と仮定して、弁明を並べ立てたことは、無差別砲撃に対する国際社会の非難を免れようという意図があることは明白だ。26日には、「傀儡軍(韓国軍のこと)の砲台を正確に攻撃した」として、砲射撃の能力を誇っている。
北朝鮮の遺憾表明は、民間人の被害に対して、真摯に謝罪したり、人道的な立場で言及したものではない。延坪島砲撃の全面的な責任を韓国側に転嫁するための卑劣な術策にすぎない。遺憾は、「残念だ」という意味で、謝罪の中では最も弱い表現だ。韓国の領土に爆弾を浴びせ、軍人と民間人に死傷者を出しておきながら、遺憾云々することは、謝罪の意思がないも同然だ。
同通信は、「責任は、軍事施設内に民間人を配置して『人間の盾』を作った敵の非人間的行為にある」と主張した。そして、むしろ「敵の砲弾は我々の砲陣地から遠く離れた民家周辺にまで無差別に飛んできた」として、韓国側が非人道的だと虚偽の宣伝をした。
北朝鮮が挑発して、「遺憾」という言葉を使ったのは、板門店(パンムンジョム)で米軍将校2人を殺害した76年8月18日のポプラの木事件以来、初めて。当時、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が、「狂犬には棒が必要だ」と強力な対応を警告すると、翌日、遺憾を表明した。その時も、韓米両国の怒りと報復を恐れた、その場限りの戦略的な選択にすぎなかった。その後も、挑発やテロを行った彼らの行動がその証拠だ。
親北勢力が、今回の金正日(キム・ジョンイル)集団の遺憾表明を盲目的な対話要求の口実とする可能性もある。しかし、これは挑発を正当化し、韓国社会を撹乱しようとする高度の心理戦であることを知らなければならない。北朝鮮は今、韓国のテレビに中継される延坪島や韓国社会の動向を隅々まで見て、心理戦に没頭している。